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「ぼく、なんにも、わるくないよ」──織田裕二主演『Oh, My Dad!!』を光太の目線で見る

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「ぼく、なんにも、わるくないよ」──織田裕二主演『Oh, My Dad!!』を光太の目線で見る


Oh, My Dad!!


「ぼく、なんにも、わるくないよ」


「ぼく、なんにも、わるくないよ」

泣きながらそう言う光太の声を聞いて、
涙を抑えることはできなかった。

本来、大人が先に言ってあげなければいけない言葉
だったはずだ。

君は悪くない。
パパとママの問題は、君のせいではない。

でも光太は、
その言葉を
自分で言わなければならなかった。

『Oh, My Dad!!』は、
織田裕二さんが初めて父親役を演じたドラマだ。
けれど、見終えていちばん残ったのは、
“父親役の織田裕二”という
新鮮さだけではなかった。

夫婦の破綻。
生活の不安。
夢を追ってきた父親。

そして、そのすべてを
小さな身体で受け止めようとする子どもの姿だった。


くたびれた織田裕二


主人公の新海元一は、
大学時代にマグネシウム空気電池を開発し、
かつては将来を期待された研究者だった。

しかし、それから18年。
職には就かず、研究一筋で生きてきたものの、
成果は何ひとつ出ていない。

家計を支えていた妻は、
ついに限界を迎え、家を出ていく。
こうして、元一と5歳の息子・光太の二人きりの生活が始まる。

このドラマで新鮮だったのは、
織田裕二さんが、
とにかく“くたびれている”ことだった。

かっこいい織田裕二ではない。
勝つ男でもない。
組織に立ち向かう男でもない。

夢を追い続けた結果、
生活に追い詰められ、
妻に出ていかれ、
5歳の息子と寝床を探して街をさまよう父親である。

元一はまだ、自分の研究が世界を変えると信じている。
けれど、何十社にプレゼンしても結果は出ない。
肝心の実験も失敗する。
電球ひとつ灯らない。

それは見ているこちらまで
肩を落としてしまうような失敗だった。



静かな部屋では、段ボール工作をする光太と一人の女性の存在があった。 失われかけた日常の中にも、子どもが少しだけ安心できる時間がある。
そんな元一と光太のそばには、現実の生活をそっと支える人の存在もあった。


光太は、言葉を飲み込んでいる


何度も印象に残ったのは、
光太が何かを言おうとして、ぐっと飲み込む場面だった。

パパに言いたいことがある。
でも、言えない。言わない。
言えばパパが困る。
自分が我慢すれば、その場は丸く収まる。

子どもは、
大人が思っている以上に家の空気を読む。
親の疲れも、不安も、怒りも、
言葉になる前から感じ取ってしまう。

そして、いつの間にか思ってしまう。

自分がいなければ、パパは楽になるのではないか。
自分が邪魔なのではないか。
自分が悪いのではないか。

これは、子どもが背負っていい重さではない。


光太の姿は、ドラマだけのものではない


法務省から委託を受けた調査報告書(※)によると、
父母の別居を経験した子どもについて、
別居時の年齢で最も多かった層は
「3歳から6歳(就学前)」だ。

『Oh, My Dad!!』の光太は5歳であり、
この年齢設定は決して現実離れしていない。

さらに、父母が別居する前から、
子どもたちの多くは父母の不仲を知っていたり、
薄々感じていたりする。

調査では、「父母の仲が悪いのは自分のせいなのではないか」
と感じた子どもが「16.2%」
これは、およそ6人に1人にもなる。

だから、光太の
「ぼく、なんにも、わるくないよ」という言葉は、
ドラマの中だけの特別な台詞ではない。

親の問題を、
自分のせいだと思ってしまう子どもの現実に、
かなり近いところにある。


離婚は、夫婦だけの問題では終わらない


かつて法務職として、
親子関係にまつわる問題を
見つめる機会があった。

その経験から思うのは、
離婚は「夫婦が別れる」という一言では、
とても収まらないということだ。

離婚によって、
子どもは片方の親との日常を失う。
一方で、子どもを引き取った親は、
生活を支えるために働かなければならない。

働けば働くほど、
子どもと過ごす時間は削られていく。
いちばん必要な精神的ケア、
ただそばにいる時間が失われていく。

もちろん、目の前で両親が言い争う
高葛藤の環境から離れられることには、
大きな意味がある。

けれど、それで子どもの負担が
すべて消えるわけではない。

子どもは、離婚によって片方の親と分断され、
離婚後の生活によって、
監護する親との時間からも少しずつ遠ざけられていく。

『Oh, My Dad!!』は、
そのしんどさをかなり痛く見せてくる。


面会交流の温度差


面会交流にも、
生活をともにする親と、
たまに会う親との温度差が出る。

たまにしか会えない父親は、
その限られた時間の中で、
子どもを喜ばせたいと思う。
普段は買ってもらえないものを買ってあげることもある。

それを「自分にはできないことをしてもらえてありがたい」
と受け止める母親もいる。
一方で、「自分だけ子どもにいい顔をしている」と感じる母親もいる。

生活をともにする親には、
日々の家計がある。家庭のルールがある。
子どもに何かを買うタイミングを、
誕生日やクリスマスなど特別な日だけにしようと考えていることもある。

そこへ、たまに会う親が、
そのルールをあっさり崩してしまう。

悪意がなくても、すれ違いは起きる。

面会交流は、
親子の時間を取り戻すためのものでもある。
同時に、別々に暮らす現実を何度も突きつける時間でもある。


「来なくていい」と言う子ども


元一が、子どもに会いに行く日に
仕事で行けなくなる場面。

本人は、少しだけでも行くと言う。
けれど光太は、「来なくていい」と言う。

本当は、来てほしい。
でも、また期待して傷つくくらいなら、
自分から先に突き放したほうがいい。

子どもは、期待を守るために、
期待しないふりをする。

この描写は、とてもリアルだった。

生活がある。
仕事がある。
面会の約束がある。

そして、その全部のしわ寄せを、
子どもが小さな身体で受け止めてしまう。


現実より少し優しい、ドラマらしい終わり方


終盤、元一は夢を捨てる。

研究所だった掘っ立て小屋は解体され、ハローワークに通うようになる。
42歳で職歴ゼロ。
面接にすらたどり着けない現実がある。

ようやく得たインターンシップでは、6週間無休で働く。
正社員になれるのは同期50人のうち1位だけ。
元一の結果は3位だった。

50人中3位。
普通なら十分に立派な結果だと思う。
けれど、1位でなければ生活は変わらない。

努力したことと、救われることは、同じではない。

それでも最終回は、
元一にもう一度、父親として、研究者として立つ場所を残した。
復縁の可能性も、そっと残している。

現実より少し優しい、
ドラマらしい終わり方だったと思う。

でも、ここまで痛みを描いてきた物語だからこそ、
その優しさが少しだけ救いになった。


同じ2013年夏、『半沢直樹』の陰で描かれていたもの


『Oh, My Dad!!』の平均視聴率は9.2%だった。

ともに2013年7月期のドラマには、
社会現象となった『半沢直樹』が放送され、
平均視聴率29.0%を記録している。

この数字だけを並べると、
『Oh, My Dad!!』は地味な作品に見えるかもしれない。
けれど、描いていたものはまったく別の場所にあった。

『半沢直樹』が、
理不尽な社会に対するカタルシスを描いたドラマだとすれば、
『Oh, My Dad!!』は、家庭の中で少しずつ崩れていくもの、
そしてそれでも残る親子の時間を描いたドラマだった。

派手な勝利ではなく、生活の痛み。
大声で叫ぶ「倍返し」ではなく、
子どもの前で何とか立っていようとする父親の姿。

だからこそ、この作品は、数字以上に記憶に残る。
今あらためて見返すと、
『Oh, My Dad!!』は“隠れた名作”と呼びたくなるドラマである。






📀 Oh, My Dad!! DVD-BOX

『Oh, My Dad!!』は、織田裕二さんが初めて父親役を演じたドラマです。
夫婦の別れ、父子の時間、そして子どもが抱え込んでしまう思いが、光太の姿を通して描かれています。

離婚を決断する前に、見てほしい作品です。





※参考:公益社団法人商事法務研究会『未成年期に父母の離婚を経験した子の養育に関する実態についての調査・分析業務 報告書』(令和3年1月)

  • この記事を書いた人
藤次郎Tojiro

Tojiro

子どもの頃、家でジャンプが出禁になっても、『銀牙』や藤子作品だけは読み続けていた。あの頃の“物語の匂い”が、ぼくの根っこをつくっている。 うつとの長い旅を経て、“こころの余白”の大切さを知った。いまはドラマ『相棒』を中心に、気持ちの揺らぎや、語られない沈黙、痛みのレイヤーを、そっと読み解いている。原点の作品を行き来しながら、人が立ち上がっていく物語を、静かに追いかけています。

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