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堺雅人主演『リーガル・ハイ』第1話考察|古美門研介という“勝つ弁護士”

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堺雅人主演『リーガル・ハイ』第1話考察|古美門研介という“勝つ弁護士”


リーガル・ハイ


古美門研介という、最高でもサイテーの弁護士


古美門研介という男は、最低である。

金にうるさい。
口が悪い。
性格も悪い。

依頼人のために涙するタイプではない。
弱者に寄り添う白馬の弁護士でもない。
むしろ白馬を高値で売り払って、ワインと葉巻を買いそうな男である。

しかも、髪型も変だ。

妙にきっちりしているのに、どこか不自然。
頭に海苔をぺったり貼りつけたような髪型をしている。

ひどい。
公式に変である。

だが、この男は勝つ。

しかも厄介なことに、腹立たしいほど筋が通っている。

『リーガル・ハイ』第1話は、
そんな古美門研介という“最高でもサイテーの弁護士”を通して、
法廷ドラマの気持ちよさを、
初回から見事にぶち壊してくる。

無罪になった。
しかし、真実が明らかになったわけではない。

ここが、このドラマの嫌なところであり、
たまらなく面白いところである。


『正義は勝つ』から『リーガル・ハイ』へ


先日、織田裕二さん主演ドラマ『正義は勝つ』について書いた。

そこでは、法廷ドラマにおける「正義」や「真実」を扱った。
裁判所が認定する“事実”と、
当事者が抱えている“真実”は、必ずしも同じではない。

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正義は勝つ
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では、『リーガル・ハイ』は何を描くのか。

第1話で突きつけられるのは、
さらに冷たい現実である。

『正義は勝つ』が、
“正義を勝たせる”法廷ドラマだとすれば、

『リーガル・ハイ』第1話は、
“勝ったからといって真実が明らかになるわけではない”ことを
見せる法廷ドラマである。

この距離感が、実におもしろい。


物語は、一審で懲役10年が出たあとから始まる


第1話の事件は、ガソリンスタンド店長殺害事件である。

被告人の青年は、一審で懲役10年の判決を受けていた。

新米弁護士の黛真知子は、
被告が自白を強要された可能性があり、
このまま終わらせてはいけないと感じる。

そこで紹介されるのが、
古美門研介である。


古美門は、真実ではなく“空気”を動かす


古美門の戦い方は、えげつない。

彼は黛に、被告人の美談を集めろと指示する。
「親孝行」でも、「食べ物を残さない」ことでも、何でもいい。

次に、取り調べ刑事の悪評を集めろと言う。
さらに、それを記者に書かせろ。
マスコミを使え。
人権団体を焚きつけろ。

古美門は、被告人を「守るに値する人間」に見せる。
取り調べ刑事を「信用できない人間」に見せる。
事件を人権問題として広げ、世論を動かそうとする。

しかも、マスコミのインタビューを受けている“関係者”が、
古美門事務所の「草の者」だったりする。

関係者とは誰なのか。
便利な言葉である。

ひどい。
だが、うまい。

古美門は、世論を信じていない。
それでも、勝つためには世論すら利用する。

ここが古美門のいやらしさであり、強さである。


ラーメン又次郎
リーガル・ハイ

無罪は、真実の証明ではない


裁判の結果、被告人は無罪になる。

普通の法廷ドラマなら、ここでカタルシスが来る。
不当に罪を着せられた青年が救われた。
めでたし、めでたし。

……とはならない。

『リーガル・ハイ』は、
そんなに気持ちよく終わらせてくれない。

無罪とは、被告人が真実として
完全に白だったことの証明でもない。

検察の証拠不十分で無罪になった。
有罪を立証できなかった。
だから無罪。

これが第1話の核心である。

ここで出てくるのが、**推定無罪の原則**である。
疑わしきは、被告人の利益に。

法治国家の大切な原則である。


「次は」という一語が、カタルシスを壊す


第1話の後味を決定づけるのが、
無罪となった青年の裁判後の一言である。

彼は、取り調べで自分を恫喝した刑事に向かって、
「次はお前を殺す」という趣旨の言葉を吐く。

ここで視聴者は、ざらっとする。

「次は」とは何か。

今回も、本当はやっていたのではないか。
ただ、立証されなかっただけなのではないか。

そういう疑念が残る。

だが、それでも裁判上は無罪である。

この気持ち悪さこそが、
『リーガル・ハイ』第1話のすごさだと思う。

無罪になった人間が、危うい人間かもしれない。
また問題を起こしそうに見える人間かもしれない。

それでも、検察が有罪を立証できなければ、
罰してはいけない。

それが推定無罪のしんどさであり、強さである。


弁護士は、正義の味方なのか


黛真知子は、困っている人を放っておけない。

弱い立場に見える人に寄り添い、救いたいと願う。
その正義感は尊い。

しかし、正義感だけでは現実を動かせない。

目の前に困っている人がいれば、心を動かされる。
手助けしたいと思う。
その感覚は、あながち間違いとは言えない。

ただ、それだけで人を判断すると、
見えていない事情を取り落とすことがある。

その人が本当に助けを必要としているのか。
こちらが勝手に「弱い立場」だと決めつけていないか。
反対側にも、語るべき事情があるのではないか。

そこを見なければならない。

古美門が黛の正義感を「上から目線の同情」と捉えるのは、
まさにこの部分である。

黛は問う。

「正義はどこにあるんですか」

この問いは、まっすぐである。
そして、まっすぐすぎる。

一方、古美門研介は、人間を簡単には信じない。

正義も、真実も、簡単には信じない。
依頼人の利益のために、勝つことを考える。

冷たい。

しかし、第1話では、その冷たさが必要になる。

黛の正義感がなければ、古美門はこの事件に関わらなかった。
古美門の勝つ技術がなければ、黛の正義感は現実を動かせなかった。

黛は、古美門を法廷に引きずり出す。
古美門は、黛の正義感を、法廷で届く形に変える。

ただし、そこで届いたものは“真実”ではない。
“無罪判決”である。

古美門は、自分が神ではないことを知っている。
誰が本当に正義なのか。
真実のすべては何なのか。
それを、自分が裁定できるとは思っていない。

だからこそ、彼は依頼人の利益のために全力で戦う。
弁護士という自分の職能に徹する。

弁護士は、正義そのものを決める存在ではない。
依頼人の人生を代わりに生きる存在でもない。

人生は、依頼人のものである。

古美門の言葉は、一見すると冷酷に聞こえる。
しかし、別の角度から見ると、
それは弁護士という職能への謙虚さでもある。

古美門は最低である。
だが、最低だからこそ見えるものがある。

善意で依頼人を包み込むことはしない。
依頼人の人生を、自分の正義で上書きしようともしない。

ただ、勝つ。

しかも、こちらの見たくない本質を突いてくる。

このズレこそが、『リーガル・ハイ』第1話の面白さである。

ひどい。
好き。



📦 古美門の毒舌に笑っているうちに、推定無罪も、著作権も、日照権も、親権も、
なぜか頭に入ってくる。ひどい。うまい。そして、ちゃんと勉強になる。

📀 リーガル・ハイ DVD-BOX

堺雅人さん演じる古美門研介の毒舌、新垣結衣さん演じる黛真知子の正義感。
笑っているうちに、推定無罪・著作権・日照権・親権など、法と人間のめんどくささが見えてくる法廷コメディです。

古美門は最低。でも、なぜか目が離せない。『VIVANT』続編で堺雅人さんが再注目される今、見返したい一本です。





  • この記事を書いた人
藤次郎Tojiro

Tojiro

子どもの頃、家でジャンプが出禁になっても、『銀牙』や藤子作品だけは読み続けていた。あの頃の“物語の匂い”が、ぼくの根っこをつくっている。 うつとの長い旅を経て、“こころの余白”の大切さを知った。いまはドラマ『相棒』を中心に、気持ちの揺らぎや、語られない沈黙、痛みのレイヤーを、そっと読み解いている。原点の作品を行き来しながら、人が立ち上がっていく物語を、静かに追いかけています。

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