なぜ、私はブログを書くのか

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なぜ、私はブログを書くのか


なぜ、私は、ブログを書くのか


自分の人生を、自分の言葉で取り戻すために


このブログは、第一義的には、自身のために書いている。

それは、主治医から何度も言われてきたことでもある。

誰かを救うために書かなくていい。
誰かの役に立つことを、目的にしなくていい。

自分のために書く。

今では、その意味が少しずつ分かるようになった。


誰でも救えるわけではない


うつ病を発症する以前、私は仕事にかなり深く入り込んでいた。

依頼者からメールが届けば、気になって仕方がない。
途中で切り上げれば、「まだ終わっていない」という感覚が頭から離れない。

終わるまでやる。

「今日できることを明日に延ばすな」

そんな言葉も、当時の私には正しいものとして響いていた。

20代の頃から、私はビジネスケアラーでもあった。

父の場合は特に、私がやらなければ進まなかった。
代わりになる人はいなかった。しかも遠距離だった。

その一方で、仕事では「自分が何とかしなければならない」という思いを、必要以上に背負い込んでいた。

振り返れば、常に、界王拳10倍を発動しているような状態だった。

ところが、無理をして動けてしまうと、周囲には「病気といっても、できるではないか」と映ってしまう。

できていたのではない。

壊れながら、無理やり動いていただけだった。

親の身の回りの世話。
そして、職場でのパワハラ。

それらが重なり、私は心身ともに壊れた。気が付いたときは、すでに、不可逆になっていた。

今は、少し違う。

「今、それは本当に必要なのか」
「それとも、ただ気になっているだけなのか」

そう自分に問いかける。

放っておいても大丈夫なら、放っておく。

私に必要だったのは、努力する力だけではなく、放置する力でもあった。

誰でも彼でも救えるわけではない。

仕事で「二度と同じことを起こしてはいけない」「自分が何とかしなければならない」と考え続けたことは、使命感というより、いま振り返れば「超自我」の暴走だったのだと思う。

かつての仕事ぶりを後悔しているわけではない。

あのときは、ただ必死だった。

だからこそ今は、自分の限界を知ることも、大切な責任のひとつだと思っている。


「当たり前」を疑う


認知行動療法(CBT)を学ぶ中で、私は、自分が長いあいだ「当たり前」と思っていたものを見直すようになった。

「親の言うことは正しい」
「自分が悪いから怒られる」
「期待には応えなければならない」
「最後までやらなければならない」

そうした考えを、一度、机の上に置いてみる。

本当にそうなのか。

その前提はどこから来たのか。

ほかの見方はないのか。

法律の仕事では、事実と解釈を分け、前提を疑い、別の可能性を検討する。

ところが、自分自身の人生については、長いあいだ、それができていなかった。

自分の人生なのに。

「あれれぇ〜? おかしいぞぉ???」

そんなふうに、自分の中の常識を疑えるようになったことは、大きな転換点だった。

私にとっての治癒とは、単に以前の状態へ戻ることではない。

感情やトラウマに支配されることなく、物事を合理的に捉えられるようになること。

そんなふうに考えている。


「もう考えていい」


交流分析には、「禁止令」に対して「許可」を出すという考え方がある。

私自身、子どもの頃から、

考えるな。
自分で決めるな。
自分を出すな。

そんなメッセージを、言葉や態度の中から受け取ってきたのだと思う。

だから今は、自分で自分に言う。

もう考えていい。

疑っていい。

好きなことを好きだと言っていい。

自分の感じたことを、自分の言葉で表していい。

ブログを書くことも、その「許可」のひとつだ。

誰かに与えられた答えを書くのではない。

映画やドラマを見て、自分がどう感じたのか。

過去の出来事を振り返って、自分はいま何を考えるのか。

それを、自分自身の言葉で残していく。


ブログは、私の自分史の一部


過去に起きたことは変えられない。

嫌だったことも、苦しかったことも、なかったことにはできない。

でも、その出来事を、いまの自分がどう捉えるかは変えられる。

「あのとき、本当は何を感じていたのか」

「なぜ、あんなに苦しかったのか」

「いま振り返ると、何が見えるのか」

書きながら、もう一度考える。

そうすると、過去の出来事が、ただ自分を傷つけた記憶ではなくなることがある。

自分で見つめ直し、自分の言葉を与える。

私にとって、それは自分の人生を回収する作業でもある。

このブログに、映画やドラマの話が多いのも、そのためだ。

作品について考えていたはずなのに、気がつけば、自分自身について考えている。

登場人物の言葉に引っかかる。

なぜ引っかかったのかを考える。

そこから、自分の中に眠っていた記憶や価値観が見えてくる。

だから、作品の考察も、自分史の一部になっていく。


まず、自分のために書く


もちろん、読んでもらえることは嬉しい。

検索から来てくれる人がいる。

何かを感じてくれる人がいる。

でも、順番は変えない。

まず、自分のために書く。

誰かを救うことを背負わない。

正しい答えを出すことも背負わない。

書けない日は、書かない。

疲れたら、休む。

考えが変われば、また考え直す。

それでいい。

かつて私は、自分よりも先に、誰かの期待や、誰かの困りごとを置いていた。

今は少しずつ、自分の人生を、自分の手元へ戻している。

このブログも、その途中にある。

完成した答えではない。

回復の記録でもあり、思考の記録でもあり、私自身の自分史でもある。

自分の人生を、自分の言葉で語る。

それが、いまの私がブログを書く理由である。