
科学によって生まれた命が、科学を超えた「魂」と「選択」を持ちはじめる──
その瞬間、物語は”戦闘”から”再生”へと舵を切る。17号、18号、そして16号は、それぞれに「人間らしさ」を手にし、与えられた役割ではなく、「自らの生き方」を選び直した。そこには、誰かに愛されたかった少年の面影と、家族を守ろうとする静かな決意、そして、自然と共に生きることの尊さが映し出されている。人造人間とは、人間が作った“鏡”なのかもしれない。ぼくらは、彼らを通して、自分自身の「傷つき」や「喪失」、そして、「希望と再生の物語」を見ているのだ。
──後篇では、「母となった18号」や、「レンジャーとして生きる17号」、そして、「設計図に刻まれた呪いと祝福」という視点から、“選び直せる生”を見つめていきたいと思う。
18号が“母”になった意味─戦闘兵器に生殖機能を残したゲロの無意識

「わたしたちは、勝手に改造した、ドクター・ゲロを恨んでいたんだ!!」(1)
18号がクリリンを心から愛している理由……それは、「初めて無条件で、自分を人として見てくれた相手」だから──機械の体にされ、“兵器”として扱われてきた彼女にとって、クリリンはただ一人、「人間」として尊厳を見てくれた人だった。自分の命を賭けてまで、彼女を救おうとした。どんな過去があろうと、クリリンは「恋愛対象として好意を向ける」とか「付き合いたいから優しくした」んじゃなくて、“存在そのものに対する慈しみ”から動いた。
クリリン「かわいそうじゃねえか・・身体の中に爆弾があるなんてさ・・・」(2)
この一言は、「ただ、ひとりの命として見ている」という愛の原点のような行動。
そして18号は、それを“柱の影から聞いていた”──自分の中にあった氷のような信念が、“解かされた”瞬間なんだろうと思う。このとき、まさに、彼女にとっての”再生のきっかけ”になったのではなかろうか。天下一武道会の優勝と引き換えに、優勝賞金の倍額である、2000万ゼニーをせしめるべく、ミスターサタンと取り引き(というか、恐喝)したりと、 「こわいお姉さん」ではある。でも、その奥には、とてもピュアで不器用な女の子がいるんだと思わせてくれる存在。”鼻がない”クリリンのことを「かっこいい」と呟いたあの場面──あれこそが、18号の“心からの愛情表現”。言葉は少ないけど、深く、真っ直ぐな想いがそこに宿ってる。
「マーロン」──ふたりの間に生まれた子ども──彼女こそ、18号とクリリンの関係の“再生”と“信頼”の証に他ならない。
17号の「それも人間くさくて、いいよね」の重み──自然保護官という“再生された生”の選択

「それも、人間くさくて、いいよね」────
この一言には、完璧じゃなくていい。怒ったり、迷ったり、悩んだり、ときに失敗したり、弱さを見せたりすることすらも、**”それが人間なんだ”** という深い受容のまなざしがある。そして、これは、かつて機械として扱われた17号が、”人間らしさを肯定する言葉”を自ら語れるようになったという、彼自身の”癒やしと変容”の証でもあると思う。
「科学が産んだ呪いと祝福」──17号の設計図が意味するもの

トランクスとクリリンが持ち帰った17号の設計図。
ブリーフ博士 「こいつはすごいもんだ。わしでも分からんことがずいぶん多いのう・・・。 惜しいなあ。ドクター・ゲロも、この天才ぶりをもっといいほうに・・・」 ブルマ 「人間をベースにして、ほとんど有機質だけで改造してあるわ。これなら、確かに、細胞レベルで融合するのも、可能かもしれない」(3)
このシーンには、人造人間という“存在”に対する重要な視点が含まれている。
- 「破壊された才能」の皮肉(ブリーフ博士のセリフ)
「この天才ぶりをもっといいほうにつかえば…」
ここには、科学者の倫理という問いが込められてる。ドクター・ゲロは、間違いなく超一流の天才だった。でも、その知性は「憎しみ」という感情の燃料で暴走した。つまり、科学の力は中立だが、使う人間の心が結果を変える。これは、セルという存在そのものにも当てはまる。力そのものは“中立”なのに、目的が“支配・破壊”に偏っていたからこそ、恐怖を生んだ。
- 「融合可能な存在」=“ヒトに近いもの”(ブルマのセリフ)
「人間をベースに、有機質で改造してある」つまり、17号や18号は「サイボーグ(改造人間)」であって、完全なロボットではなく、ヒトと機械の間にある存在である。
ここから、以下の構造が見える:
• セルが吸収できるのは、「人間性」が残っている存在。
• ドクター・ゲロは「融合されうるヒューマノイド」を目指して設計していた。
「セル=究極の生命体」対「17号・18号=ヒトの変異形」・・・この対比が、ドラゴンボールという物語に深みを与えている。
- 「人造人間とは、人間の不完全さを技術で埋めようとした結果、生まれたもの」
ドクター・ゲロの設計図は、単なる“兵器の青写真”ではなかった。そこにあったのは、「融合されることを前提にした」人間改造の到達点。セルにとって、17号・18号は“パーツ”に過ぎなかった。でも、設計図を見たブルマやブリーフ博士には、そこに込められた“可能性”が、別の形で見えていた。それは、人間の延長線上にある存在としての17号たち。つまり、「人造人間とは、人間の不完全さを技術で埋めようとした結果、生まれたもの」だったのかもしれない。
ぼくらが彼らに重ねる“喪失と再構築”の物語

セルのプログラムに組み込まれた未来とは、“完全体”という終点だった。だが、17号・18号・16号が辿った道は、自らの意志で再び“生”を引き受けることだった。兵器として作られた存在が、愛し、笑い、守るという、最も“人間らしい”営みに身を置いたとき──「魂を持つ」とは何か?という問いを静かに突きつけてくる。
● 17号の言葉に見える“誇り”
17号「究極の戦士なら、もうここにいるだろ」
これ、まさに“自我”のセリフだ。自分は誰かのための部品でもないし、餌でもない。「自分という存在そのものに価値がある」と主張している。これは、ドラゴンボールZの世界のなかでも、かなり“人間的な怒り”だった。
●「人間っぽさ」が残る存在
18号「けっこう、人間っぽいとこ、残っているよね」
生身じゃない彼女たちが、ネックレスや、オシャレな服に愛着を持ったり、感情を口にしたりする。これは、自己意識や情動の芽生えを示しているともいえる。
●16号という存在のメタファー
16号「小鳥たちが逃げてしまった…」
このセリフには、繊細で優しい感情が込められていて、人工的に作られた存在が「静けさ」や「命の小ささ」に心を向ける。 人間と機械の境界を越えた、“心”のようなもの──それが、とても切なく、美しい。
トラウマやうつ病のように、「感情の制御」が困難になることは、誰にでも起こりうる。しかし同時に、感情があるからこそ、人は守り、愛し、悔い、再生できる。「魂を持つ」とは、そういうことかもしれない。
人造人間というのは兵器ではなく、”再生”と”選択”、そして”継承のメタファー”なのかもしれない。
「過去」は変えられなくても、「意味」は変えられる
わたしたちは、けっして“完璧”ではないし、過去に傷を負い、“ふだつき”と呼ばれた経験があっても不思議ではない。
でも──「過去は変えられなくても、意味は変えられる」。
これは、認知行動療法(CBT)の中核となる考え方でもある。
CBTでは、「自動思考」と呼ばれるネガティブな反応に気づき、少しずつ、「別の見方」を身につけていく。
ドラゴンボールの人造人間編は、そんなCBT的な〈再解釈〉の物語でもあるんだ。
たとえば──
「わたしは、壊すことしかできない」
→「でも、いまは守ることもできている」
「自分には価値がない」
→「愛してくれる人が、目の前にいる」
これは、まさに〈自分をやりなおす力〉そのものだ。
セルという“怪物”は、かつてドクター・ゲロが作った“理想”の結晶かもしれない。だが、人造人間たちは、その理想に反旗を翻し、「自分たちの道」を選びなおしていった。
ぼくたちもまた、同じようにできる。たとえ、どんな過去があっても。たとえ、脳に傷を負っていたとしても。たとえ、身体が言うことを聞かなくても──「選びなおす」ことはできる。それは、誰のためでもない。ぼくたち自身の“生きなおす物語”なのだから。
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引用文献
1『ドラゴンボール完全版』25巻”阻止せよ! セルの完全体/鳥山明/集英社
2『ドラゴンボール完全版』28巻”さようなら戦士たち”/鳥山明/集英社
3『ドラゴンボール完全版』25巻”目覚めた孫悟空”/鳥山明/集英社
精神科医の視点をもとにカスタマイズされたAI、GPT-s「まっすぅ先生(GPT-4o)」のサポートを受けながら、構成・執筆協力を受け、著者(藤次郎)が執筆しています。