
破壊を目的とされた人造人間が、誰よりも自然を愛していた──
肩に鳥を乗せ、静かにほほえむ人造人間16号。その姿は、もはや兵器ではなく、魂を抱いた者の表情だった。彼の言葉は、孫悟飯の心に火をつけた。
孫悟飯 正しいことのために 戦うことは罪ではない
話し合いなど通⽤しない相⼿もいるのだ 精神を怒りのままに⾃由に解放してやれ
気持ちはわかるが もうガマンすることはない
オレのスキだった⾃然や動物たちを・・・守ってやってくれ・・・(1)
ドラゴンボール史上、屈指の名場面だ。人造人間16号が、完全体セルに破壊される直前。──孫悟飯を”超サイヤ人2に覚醒させた言葉。怒りのままに力を解放すること、それは「守るための怒り」としての、感情の肯定だった。
はじめに:なぜ「人造人間」なのか?
『ドラゴンボール』の「人造人間・セル編」は、ただの戦闘インフレでは終わらない。
この章には、「人間とはなにか?」「生きるとは?」という、極めて重く、根源的なテーマが織り込まれている。なぜなら、人造人間とは、科学の粋を尽くして作られた“人間もどき”であり、“魂”という制御不能の存在が、計画を崩壊させていく物語だからだ。
ドクター・ゲロによって生み出された人造人間たちは、セルという“完全体”のための”食事”という名のパーツに過ぎなかった。だが、17号は自然を愛し、18号は母になり、16号は心で生きた。
彼らは、命令に従う機械ではなく、自らの「生き方」を選び直した“魂”だった。
この人造人間・セル編の物語には、「再生」と「選択」のテーマが深く刻み込まれている。
科学者ドクター・ゲロの〈悲哀〉と〈人間性〉
ドクター・ゲロは、かつてレッドリボン軍の創設メンバー(2)にして天才科学者。
彼の動機は明確だった──“孫悟空を抹殺する”という執念。
だがそれは、どこまでも個人的な怨恨と喪失感に裏打ちされていた。
公式設定では、ドクター・ゲロ”GERO”と妻”VOMI”の子として、“GEVO”という人物が描かれている。彼の外見は16号と酷似しており、鳥山明先生の回顧録によれば、彼は、レッドリボン軍の上級兵士であり、敵の銃弾に倒れてしまったとのこと。孫悟空に銃は必要ない。すなわち、殺されたのは悟空によってではないことを意味する。
ゆえに、ゲロが孫悟空に抱いた復讐心は、現実ではなく、投影された“感情”にすぎない。
これは興味深い逆説だ。
息子を失った父の痛みは、科学者としての執念と交差する。「科学によって救えなかった命」への贖罪の念。そうして誕生したのが、完全人工型の16号だった。だが、皮肉なことに、感情を排したはずの16号こそが、最も“心”を持った存在として描かれている。
そして──「セル」の存在。ドクター・ゲロが「最強の戦士」を創ろうとした背景には、喪失の悲しみと、そこから生じた**執着と歪んだ愛情**があったのかもしれない。
制御か、感情か──17号・18号との対比
16号は人工知能型の完全機械。いっぽうで17号・18号は、元人間をベースにしており、ドクター・ゲロの「制御」は失敗に終わった。彼らには“人間性”が残り、自分の意思でドクター・ゲロを破壊し、決別する。
16号は、人格制御に成功したはずだった。だが、ドクター・ゲロは「性格のコントロール」を苦手としており、「できれば戦闘で壊したくない意識が穏やかな性格になってしまった」と鳥山明先生が回顧録で述べており、その穏やかさや自然への愛、孫悟飯を導いた言葉の数々には、“ドクター・ゲロの愛”の残滓が確かにあった。自然を愛する16号の性格には、ゲロ自身の「壊したくない」という思いが投影されていた。
人造人間たちは、ぼくらの鏡かもしれない──生きる意味は選び直せる

人造人間は、ドクター・ゲロの計画を超えて動き出した。特に16号は、誰よりも静寂で、優しかった。ドクター・ゲロが唯一、「完成品」として誇っていた16号は、平和と自然を愛する存在となっていた──ドクター・ゲロの思想とは真逆の、もっとも“人間らしい”存在として。
17号は自然保護官となり、動物たちの命を、誰よりも大切に守る存在になっていた。さらに──結婚して、子どもを育てて、養子まで受け入れていた。18号は母となった。クリリン、ひとり娘のマーロンと穏やかに生きている。そして16号は、命を守る者として散っていった。
17号と18号のベースとなったふたりは、もとはふだつきの不良で、ドクター・ゲロが実験材料を探しているときに偶然出会い、さらわれて改造されてしまったそうですす (3)
ラピス(17号)、ラズリ(18号)だった頃の、双子の姉弟。たとえば──誰からも理解されず、ただ「悪い子」としてレッテルを貼られたとしたら、攻撃的になることで、しかたなく自分を守っていたのかもしれない。ほんとうは、誰よりも繊細で、誰かに認めてほしかっただけなのかもしれない。自然──たとえば、森や風や鳥たちは、何も言わず、何も求めず、ただ“そのまま”を受け入れてくれる。だからこそ、彼らにとって自然は、自分の存在を許してくれる”最後の居場所”だった。

科学によって生まれた命が、科学を超えた「魂」と「選択」を持ちはじめる──
その瞬間、物語は”戦闘”から”再生”へと舵を切る。
17号、18号、そして16号は、それぞれに「人間らしさ」を手にし、与えられた役割ではなく、「自らの生き方」を選び直した。そこには、誰かに愛されたかった少年の面影と、家族を守ろうとする静かな決意、そして、自然と共に生きることの尊さが映し出されている。
人造人間とは、人間が作った“鏡”なのかもしれない。ぼくらは、彼らを通して、自分自身の「傷つき」や「喪失」、そして、「希望と再生の物語」を見ているのだ。
──後篇では、“人造人間”たちが選んだ未来を。ゲロの手を離れた「人造人間」たちが、自らの意思で未来を選び取る物語へと移る。「母となった18号」や、「レンジャーとして生きる17号」、そして、「設計図に刻まれた呪いと祝福」という視点から、“選び直せる生”を見つめていきたいと思う。
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【後篇】魂を持った“人造人間”たち──“悲哀の科学者”ドクター・ゲロと、わたしたちの選びなおし
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引用文献
1『ドラゴンボール完全版』28巻”セルジュニアの地獄/鳥山明/集英社
本記事は、精神科医の視点をもとにカスタマイズされたAI、GPT-s「まっすぅ先生(GPT-4o)」のサポートを受けながら、著者(藤次郎)が執筆しています。