
天才子役の親権停止と、古美門研介が失った“子ども時代”
第8話「親権を奪え!天才子役と母の縁切り裁判」は、
天才子役・安永メイが、
母親に対して親権停止(親権停止の審判)を求めるエピソードである。
芸能界で成功した娘。
その娘をプロデュースする母親。
母の期待。
娘の反発。
そして、親子の問題に裁判所が介入するという、
かなり踏み込んだ題材だ。
けれど、この回は単なる「ステージママ批判」では終わらない。
母親の「あなたのため」という言葉の中に、
親自身の夢や不安や承認欲求が混ざってしまう怖さ。
「親子なんだから」という言葉が、
子どもを救うどころか、
逃げる権利を奪う鎖になること。
そして、親から離れることの難しさ。
そこへ、古美門研介と父・清蔵の確執が重なってくる。
つまり、
安永メイの親権停止の物語であると同時に、
古美門研介の原点に触れる回でもある。
天才子役・安永メイは、母の夢を生きていたのか
安永メイは、人気子役として成功している。
ドラマでは人々の涙を誘う演技を見せる一方で、
私生活ではまだ12歳にもかかわらず
酒を飲み、男友達を家に連れ込む。
テレビの中の「健気な天才子役」と、
現実のメイの姿は大きく違う。
古美門は、成功する子役について、いつものように毒を吐く。
「哀れな操り人形か、マセたクソガキか。」
ひどい。
けれど、この回を見ていくと、
その毒舌の奥に、
かなり鋭い視線があることも分かってくる。
メイは、演じる子どもであり、
売られる才能でもある。
母は自分が果たせなかった女優の夢を、
娘に託している。
ここで問われているのは、かなり重い。
子どもの才能は、
親の夢を叶えるためにあるのか。
親が「あなたのため」と言うとき、
それは本当に子どものためなのか。
子どもが親から離れたいと言ったとき、
それはわがままなのか。
それとも、自分の人生を取り戻すための自己防衛なのか。
「あなたのため」は、本当に子どものためなのか
親の「あなたのため」という言葉は、
とても強い。
親が心配するのも、怒るのも、管理するのも、
きっと自分を思ってのことなのだろう。
そう受け取ってしまいやすい。
けれど、ある時ふと気づくことがある。
「あなたのため」が、実は「私のため」だった。
このことに気づいた瞬間、
子どもはかなり大きな衝撃を受ける。
・愛情だと思って受け取っていたものが、実は支配だった。
・心配だと思っていたものが、実は親自身の不安処理だった。
安永メイの母も、娘のためと言いながら、
そこに自分自身の夢を重ねている。
親子関係はただの愛情ではなくなる。
第8話が怖いのは、まさにそこだ。
👉 『“やさしさ”という檻──母の言葉の中で僕は消えていった』
-
-
第1章『“やさしさ”という檻──母の言葉の中で僕は消えていった』
続きを見る
「親子なんだから」という善意の暴力
この回で見逃せないのが、黛真知子の立ち位置である。
黛は、基本的には善意の人だ。
親子なら、本当は分かり合えるはず。
母親も娘を思っているはず。
話し合えば、何か変わるはず。
そう信じたい側にいる。
けれど、メイの側から見たとき、
その善意はかなり危うい。
「親子なんだから」
その言葉は、
子どもにとっては暴力に近い。
親権停止は、親子の縁を切る制度ではない
メイが求めるのは、母親の親権停止である。
親権停止は、
親が親権を行使することを一時的に止める制度だ。
ただし、ここで重要なのは、
親権停止は「親子の縁を切る制度」ではないということだ。
ここには、かなり重い現実がある。
子どもがどれだけ親から離れたいと思っても、
社会は、そう簡単に親子関係そのものを消してはくれない。
子どもが親元を離れても、
現実の生活では、
病院や役所や親族から「子ども」として呼び戻されることがある。
そのとき、自分自身が病気であることさえ、
十分には考慮されないことがある。
「お子さんですよね」
「ご家族ですよね」
この言葉は重い。重すぎる。
なぜなら、ただの確認ではない。
人を、役割へ引き戻す言葉でもあるからだ。
第8話のメイの戦いは、
母親から完全に自由になる話ではない。
それでも、メイが自分の人生を取り戻すために、
必要な距離を作ろうとする話なのだと思う。

メイのロンドン留学は、逃避ではなく避難である
最終的に、メイは芸能界を引退し、
ロンドンへ留学することになる。
後見的な受け皿として、
ロンドン在住の父方の伯母が指定される。
ここは、かなり象徴的だ。
メイは、母親を完全に消すことはできない。
親子の縁そのものを切るわけではない。
けれど、生活の場を変える。
芸能界から降りる。
母親の夢を生きることをやめる。
日本の芸能ビジネスと、母親の支配から距離を取る。
これは、親の人生から、
自分の人生を取り戻すための避難であり、
親不孝でもなんでもない。
メイのロンドン行きは、
そのための一歩として描かれている。

古美門研介と父・清蔵の傷
この回がさらに深いのは、
安永メイの物語に、
古美門研介と父・清蔵の親子関係が重なるところだ。
清蔵は、息子の研介に対して、
かなり厳しい価値観を向けていた。
少年・研介は、きれいな嘘を嫌う。
人を傷つけることになっても、真実を曲げない。
父から見れば、
それは人の心を考えない態度だったのかもしれない。
けれど、子どもの研介からすれば、
自分の見ている世界を否定された経験でもあったはずだ。
さらに父は、
家名や能力を基準にして、
息子を突き放した。
そして父子の関係は決定的にこじれていく。
この傷は、古美門の弁護士としてのスタイルに
深く関わっているように見える。
安永メイは、母親の夢を背負わされた子ども。
古美門研介は、父親の価値基準から弾かれた子ども。
どちらも、親の期待や都合によって、
子どもとしての自分を
まっすぐ生きられなかった存在なのではないか。
サンタクロースを信じたことがない子どもたち
古美門は、かつて「サンタクロースはいない」と言った子どもだった。
メイは、そもそもサンタクロースを信じたことがない子どもだった。
ここに、静かな接続がある。
古美門は、子どもらしい嘘を信じられなかった。
メイは、子どもらしい夢を持つ余地すらなかった。
だからこそ、
古美門がメイに「必ず勝とう」と言う場面は重い。
古美門は、メイの中に、
自分と似たものを見たのかもしれない。
そのメイに対して、古美門は珍しく、
かなりまっすぐに勝利を約束する。
服部さんという緩衝材
そして、この回では服部さんの存在も重要になる。
服部さんは、古美門法律事務所の事務員であり、
料理から護衛まで何でもこなす謎多き人物である。
古美門が唯一と言っていいほど
丁重に接する相手でもある。
実は、清蔵が、息子を心配して
服部さんを送り込んでいたという構造は、
かなり複雑だ。
一見すると、父親なりの愛情に見える。
けれど、それを単純な美談にはしづらい。
なぜなら、古美門にとっては、
父に突き放された記憶が先にあるからだ。
「見守っていた」と言われても、
「突き放された」傷が消えるわけではない。
父子の間に直接の和解はない。
その代わりに、服部さんという“緩衝材”が置かれている。
ここにも、第8話らしい複雑さがある。
第8話は、親子を美談にしない
第8話は、善悪二元論の話ではない。
親自身の「思い」や「心配」が、
必ずしも子どものためとは限らない。
この回は、その現実をかなり鋭く突いている。
親子という関係は、救いにもなる。
しかし、時に呪いにもなる。
その重さを、笑いと毒舌の奥にそっと置いている。
古美門研介は、ひどい。
でも、そのひどさの奥には、
きれいごとでは救えない人間への、妙な誠実さがある。
親子を美談にしないからこそ、
この回は痛い。
そして、忘れにくい。
📀 リーガル・ハイ DVD-BOX
古美門研介の毒舌、黛真知子の正義感、そして毎回ひっくり返される“きれいごと”。第8話では、天才子役の親権停止問題を通して、親子関係の重さまで描かれます。笑っていたはずなのに、いつの間にか胸に残る。『リーガル・ハイ』は、映像でこそ古美門のひどさが光る作品です。