
長年、好きだった。その熱が冷めてきた
ぼくは長年、織田裕二さんのファンだった。
『踊る大捜査線』も、何度も見てきた。
最近は新作『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』
の公開に向けて、過去作を一本ずつ見直している。
映像を止める。
台詞を確認する。
シナリオ・ガイドブックを読む。
必要なら、さらに資料を探す。
かなりの時間を使ってきた。
それは、誰かを批判するためではない。
ただ、『踊る大捜査線』という作品を、
もう一度きちんと楽しみたかったからだ。
ところが最近、その熱が冷めてきた。
そして今回、織田裕二さんのインタビュー
(織田裕二、変わる時代と変わらぬ正義 「踊る大捜査線 N.E.W.」
で突き詰めた青島俊作の矜持【インタビュー】(映画.com)9/10(木) 12:00配信)
を読んで、かなり決定的なものになった。
「勝手に殺すなよ」
2024年に公開された
『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』。
織田さんは、その制作をネットニュースで知ったという。
さらに今回のインタビューでは、
室井慎次が亡くなることを知り、
「ちょっと待って。勝手に殺すなよ」
と思ったと語っている。
この言葉を読んだとき、ぼくは引っかかった。
青島は現場に残る。
室井は上へ行き、組織を変える。
それが、二人が歩き始めた道だった。
室井は出世競争に入り、
派閥に巻き込まれ、
それでも自分が背負おうとした。
仕事を優先し続けた。
そして室井は狭心症を患う。
最後には、雪の中で命を落とした。
ぼくは、あえてこう表現したい。
「信念に殉じて殉職した」と。
退官後の死に対して使う「殉職」は、
ここでは制度上の扱いではなく、
室井の生き方を受け止めるための言葉だ。
もちろん、室井がどう生きるかを決めたのは室井自身である。
それでも、青島との約束が彼の人生に大きな意味を
持っていたことまで消すことはできない。
その人生を見たあとで、
「勝手に殺すなよ」と言われても、
ぼくは素直に受け取れなかった。
室井を演じた柳葉敏郎さんは、どう受け止めていたのか
もう一人、忘れてはいけない人がいる。
室井慎次を長年演じてきた、
柳葉敏郎さんである。
シナリオ・ガイドブックによると、
脚本家・君塚良一さんは
撮影現場で柳葉さんに会ったとき、
「すいません、僕の思いだけで、やっていただいて」
と声をかけたことが書かれている。
この一言が、ぼくには強く残っている。
そもそも、この企画は
『踊る大捜査線』をリブートするために
始まったものではない。
君塚さんが「室井慎次の終焉を描きたい」
と思ったことから始まった。
君塚さんの思いから始まった企画は、
本広克行監督、亀山千広プロデューサーたちとの
試行錯誤を経て、
二部作として形になっていった。
そして柳葉さんは、
シナリオ・ガイドブックのインタビューで、
この映画をやれてよかったという思いを語る。
その様子について、誌面には
「感極まって言葉につまりながら」
と書かれている。
ぼくは、ここを軽く扱いたくない。
室井慎次を最も長く背負ってきた本人が、
その最期を演じ切り、
作品について語るなかで
感情を抑えきれなくなる。
そこまで読んだあとでは、
ぼくにはこの二部作を、
「室井を勝手に死なせた映画」
とは到底思えない。
もちろん、
「室井には死んでほしくなかった」
という観客の感情は別である。
ぼく自身、室井の死は悲しい。
それでも、この結末に至るまで、
室井慎次という人物と向き合い続けた
制作陣と柳葉敏郎さんの仕事に、
敬意を表したい。
👇️室井が背負ってきた役割と、最後に得た小さな幸せ。その人生と結末をどう受け止めたかは、こちらの記事で詳しく書いています。
青島は、あの円卓に近づいてしまったのか
織田さんは、現在の青島について、
こう語っている。
いろんな経験を積む中で、派閥争いに巻き込まれた室井さんが、そこまで出世できなかったという現実も目のあたりにするわけです。つまり、警察組織で出世するためには“毒”も飲まされるんだと。
そんな大人の事情は分かるけど、でも、やっぱり毒を飲まされて、正義だなんて恥ずかしくて言えない。
また、
「各々の正義を大事にしてください」
とも述べている。ぼくには、
これが「正義の相対化」に聞こえた。
そして、ある場面を思い出した。
『THE MOVIE3』。
警察庁長官官房審議官となった室井慎次が、
警察庁、法務省、内閣官房副長官らの座る円卓にいる。
被疑者は、新湾岸署に閉じ込められた人々を人質に、
過去の受刑者の釈放を要求していた。
室井は言う。
「政治的判断を優先するために現場を無視することは、あってはならないことかと」
しかし、警察庁長官は、こう返す。
「最終的には政府与党の判断だ。勉強になるだろ。この部屋に正義はないよ。あるのはそれぞれの立場の都合だけだ」
室井は、円卓の内側に入り、
その事情に直面しながら、
それでも現場を無視することに異を唱えた。
組織の現実を知ることと、
その現実に正義を明け渡すこと。
その間で、室井は踏みとどまっていた。
だから、今回の織田さんの言葉が引っかかる。
「毒を飲まされて、正義だなんて恥ずかしくて言えない」
組織の汚れを知った先で、
正義を口にすること自体が恥ずかしいものになる。
その考え方は、
「この部屋に正義はない」と言い切った、
あの円卓の論理に近づいてはいないか。
青島。
室井に上へ行って現場を変えてくれと託したのは、
お前ではなかったか。
室井は上へ行き、
「正義はない」と告げられた場所で、
なお現場のために声を上げた。
その室井の歩みを見てきた青島が、
今度は正義を語ることを恥じるのか。
そこに至った青島がいるのなら、作品の中で見せてほしい。
ぼくの中で、何かが切れた
ぼくの中で、『踊る大捜査線』の根幹は正義だった。
正義とは何かを問い、迷い、
それでも手放さない物語だった。
だから、「各々の正義を大事にしてください」という言葉や、
正義を口にすることへのためらいに触れたとき、何かが切れた。
少なくともぼくの中では、
その瞬間、『踊る大捜査線』の根幹が消えた。
公式資料と本人の言葉
もう一つ、ぼくを白けさせたものがある。
織田さんは複数のインタビューで、
室井の映画を「ネットニュースで知った」と語っている。
一方、ぼくが持っているシナリオ・ガイドブックに
掲載された亀山千広プロデューサーのインタビューでは、
柳葉敏郎さんが出演を決める際、
「この映画をやるって、織田くんは知ってるんだよね?」
と確認し、亀山プロデューサーは、
「了解は取れてます」
と答えている。
さらに、織田さん本人から
「脚本を読みたい」と申し出があり、
シナリオを読んでもらったとも語られている。
公に届いた説明は、
そのままでは、すんなりつながらない。
「知った」「了解を取った」が、
いつの何を指すのかは分からない。
ぼくは、その空白を推測で埋めるつもりも、
どちらかの肩を持つつもりもない。
ぼくは制作関係者ではない。一観客である。
だからこそ困る。
何をもとに作品を見ればいいのか。
室井の最期を思い返したいのに、
誰が何を知っていたのかという話が浮かぶ。
作品を理解するために買った資料を、
当事者の説明を照合するために開いている。
一次資料を読んでも、
一つの真実にたどり着けるとは限らない。
そしてぼくは、いつの間にか、
映画の外で疲れていた。
ぼくは、作品だけを観たかった
昔、芸能人はもっと遠い存在だった。
いまはSNSがある。
ネットニュースがある。
本人が直接、自分の考えを語れる。
距離は近くなった。
けれど、視聴者としては、
少し遠いままでいてほしいと思うことがある。
日常から、ほんのひととき離れたくて映画を見る。
漫画を読む。小説を開く。
現実の人間関係や、業界の事情や、誰が誰に何を言ったのか。
そんなことを忘れて、物語に浸りたい。
ところが作品の外側の情報が、
作品の中まで追いかけてくる。
青島俊作を見たいのに、
織田裕二さん御本人の言葉が頭に浮かぶ。
織田裕二さんと青島俊作は、
ぼくの中では距離が近い。
だから余計に切り離しにくい。
これが『振り返れば奴がいる』の司馬江太郎なら、
ぼくはもっと簡単に俳優と役を分けられる。
青島は違う。
だからこそ、織田裕二さんには、
もう少し遠い存在でいてほしかった。
長い物語ほど、語りすぎないほうがいい
番宣だから、役者が作品を語る。
それ自体は当然のことだ。
だが、『踊る大捜査線』のように30年近く続いた作品では、事情が違う。
人物は、過去の台詞と行動を積み重ねてできている。
視聴者にも、それぞれの青島がいる。
それぞれの室井がいる。
そこへ後から演者本人が、
「今の青島の正義はこうだ」
と答えを置けば、
過去の物語との間に矛盾が生まれることもある。
作品に残されていた余白まで、
本人の解説で埋めないでほしい。
ぼくは作品を信じたい。
でも、その周りにある“公式の物語”まで、
もう無条件には信じられない。
長年、ファンだった。『踊る大捜査線』も好きだった。
けれど今、その熱は明らかに冷めている。
だから言いたい。
織田裕二よ、沈黙せよ
ぼくが聞きたいのは、
作品の外から語られる青島俊作の答えではない。
青島俊作が、スクリーンの中で何をするのか。
ただ、それを見せてほしいだけだ。
引用・参考文献/室井慎次 敗れざる者/生き続け者 シナリオ・ガイドブック(キネマ旬報ムック)
👉 【前回】恩田すみれは、何度「辞めたい」と伝えればよかったのか──「もう、辛くて、ツッパってんの、いやんなっちゃった」
