─心が壊れた日。そして、まだ見ぬ“僕”と出会う旅へ。──

第1章 はじめに──「称賛されても、うれしくなかった」
ある日、僕は仕事ぶりを評価された。
当時、都内の官公庁に勤務していて、転職したばかりだったが、それなりに責任のある業務を担当していた。
でも、不思議なことに、うれしくなかった。
「すごいね」と言われても、どこか上の空だった。むしろ心の奥では、「そんなの関係ねぇ(小島よしお風に)」とつぶやくもうひとりの自分がいた。
なにかが抜け落ちている感覚。
ずっと満たされない、ずっとどこか空っぽ。
このとき僕はまだ、「自分が何に縛られているのか」に気づいていなかった。
第2章 スキーマとの出会い──「自分を苦しめていた“信じ込み”の正体」

「どうして、うれしくなかったんだろう」
「なぜ、僕はいつもどこかで“がっかり”してしまうんだろう」
そんな疑問が、長いこと、心に沈殿していた。
でも、それが“スキーマ”という言葉と出会ってから、少しずつ変わっていきました。
📘 スキーマとは?
**スキーマ(schema)**とは、子ども時代に身につけた“思い込み”や“信じ込みのクセ”のこと。
たとえば、こんな感覚がそうです:
- 「がんばらないと愛されない」
- 「人に頼るのはダメなことだ」
- 「自分には価値がない」
こうした“早期不適応スキーマ”は、無意識のうちに人間関係や自己評価に影響し、
大人になってからも、人生を縛りつづけてしまうのです。
僕の場合は──
- 見捨てられスキーマ
- 情緒的剥奪スキーマ
- 羞恥スキーマ
- 失敗スキーマ
- 服従スキーマ …などが、複雑に絡み合ってたらしい。
たとえば、仕事で成果を出しても「認められた気がしない」。
人に助けを求めても、「どうせ迷惑だろう」と思ってしまう。
怒りを感じても、「言い返したら嫌われるかも」と引っ込めてしまう。
そうやって、自分の気持ちを封じ込めることが当たり前になっていたんです。
あなたにも、心当たりはありますか?
「なんでこんなことで傷ついてしまうんだろう」
「なんで、同じパターンで苦しくなるんだろう」
そんなとき、“スキーマ”というレンズを通してみると、
見えなかった構造が浮かび上がってくることがあるんです。
第3章 “親の愛”という名の支配
「勉強よりも、早く寝ること! また病気になったらどうするの」
「いま、なにやっているの!早く帰ってきなさい」
こうした言葉を、僕は母から繰り返し聞かされてきました。
それは“心配”という形をしていたけれど、
今になって思えば、それは**“支配”**だったのかもしれない。
母は僕の心配をしていたようで、
本当は”自分の不安を僕に背負わせていた””自分の傷の再現”なのかもしれません。
「勉強がつらかったら、いつでも、学校やめていいんだから」
「親が子どもの机の引き出しの中を調べるのは当たり前じゃない!」
──そうやって、僕は「母が安心できる子ども」でいようと努力してきた。
その結果、自分の気持ちは、いつも二の次でした。
僕が何かを選ぶとき、いつも頭の中にあったのは
「これをしたら、母がどう思うか」
「これをしなければ、父が怒らないか」
そうやって、自分の感情を後回しにすることが“当たり前”になっていました。 それが、“服従スキーマ”や“外的承認への依存”というかたちで、今も僕を縛っているのだと思います。
だけど──
僕は、ただ「いい子」でいたかったわけじゃない。
本当は、安心したかっただけなんです。
安心して、好きなことをして、失敗もできて、
「そのままでいいよ」と言ってもらえる場所が欲しかった。
あなたには、そんな「安心できる場所」がありましたか?
あなたの“がんばり”は、誰かの顔色のためじゃありませんか?
第4章 “違和感”という名の目覚め
思い返せば、あの頃から小さな“違和感”はあったんです。
誰かの期待通りにふるまって、褒められても、心の奥では「これ、僕じゃない」と思っていた。
官公庁での勤務は、まさにその象徴でした。
効率や成果を求められ、感情を抑えるのが“正解”とされる場所。
それが、僕の“生存戦略”とぴったり噛み合ってしまった。
抗不安薬を飲みながら感情を「麻痺させ」、
罵声にも耐え、“壊れないように”ふるまっていた。
だけど本当は、もうとっくに壊れかけていた。
そのうち、身体が先に悲鳴をあげるようになった。
呼吸困難で夜眠れない、過呼吸を起こす、声が出なくなる。
それでも、「休むなんて許されない」と思っていた。

なぜなら、僕の中にはこういう声があったから──
「がんばらないと、価値がない」
「少しでもミスをしたら・・・壊れる」
「上司が自分のミスを、僕のせいにしても、抗えない・・・」
でも、ふとした瞬間に、小さな目覚めがあった。
たとえば、誰かのやさしい言葉に心がふるえたとき。
たとえば、無防備な動物の姿に、自分を重ねて涙が出そうになったとき。
あ、僕にも「感じる力」が、まだ残っている。
感じてはいけない、って思い込んでいただけなんだ。
そう思ったとき、ほんの少しだけ、
“自分の声”が聞こえはじめた気がしました。
「違和感」は、心の中のアラームです。
「あなたの中に、“あなた”がいないよ」って教えてくれる。
あなたにも、そんな感覚はありませんか?
ふとした瞬間、「これじゃない」と感じたことは?
もしかしたら、それが──あなたの“目覚め”の始まりかもしれません。
第5章 “涙”が語るもの──感情の輪郭

ある日、16年ぶりに、涙が、出ました。
「じわっ」と、静かに、でも確かに。
その前日、僕は、絶望の底に。
「誰もわかってくれない」「こんなに頑張ってるのに」──
そう思いながら、診察室に向かいました。
でもそのとき、主治医の先生が、
やさしい笑顔で、ただ黙って、僕の話を聴いてくれた。
「大変だったね」
「しんどかったんだね」
それだけで、何かがほどけました。
防波堤のように、ずっと堰き止めていた感情が、
ほんの少しだけ、溢れてきたんです。
これが、“感情の輪郭”なんだと思いました。
知識だけでは、感情は動かない。
でも、体験や対話がそこに重なると、
「ああ、これは“悲しみ”だったのか」
「あれは、”怒り”だったんだ」と、名前がついていく。
そうすると、不思議と少しずつ、感情は“消化”されていく。
感情の消化とは、「解釈しなおすこと」。
そのときの出来事を、あらためて別の視点で見つめ直すこと。
あのときの怒りや涙は、「弱さ」なんかじゃなかった。
あれは、“自分を守るためのサイン”だったんだ。
あれは、“本当の気持ちに気づくための扉”だったんだ。
そう再定義できたとき、
過去の苦しみが、ほんの少しだけ「意味あるもの」に変わる気がしました。
泣けなかった人にこそ、涙は必要です。
それは、「あなたはもう、安全なんだよ」という身体からのメッセージだから。
あなたの心の奥にも、ずっと流れたがっている涙があるかもしれない。それを許すことが、“回復の入り口”になることがあるんです。
第6章 “許す”とは、忘れることじゃない

「もう許せばいいのに」
「水に流せば?」
そんな言葉に、何度となく傷ついてきた。
なぜなら、僕の中には**「許せないこと」が、たくさんある**から。
母の言葉──「何度も、お前を殺そうと思った」
父の態度──僕を“一人の人間”として扱わなかったこと
これは、忘れたふりなどできない。
むしろ、何度も何度も、夜中に思い出して、
「なんであんなことを」と、胸がつぶれそうになった。
でも、スキーマ療法に出会って、少し視点が変わったような気がする。
許すというのは、過去をなかったことにすることではない。
「自分を苦しめている枠組み(スキーマ)」を手放していくこと。
つまり、**“許し”とは、「自分を自由にすること」**だったんです。
僕は、いまも母を完全に“許して”はいない。
でも、母という存在を「全否定のまま抱え続けること」が、
僕自身を苦しめてきたのだと気づくことができました。
親がどんな人だったのか、
その人の生きてきた背景や苦しみにも、
少しずつ目を向けられるようになってきた。
精神科医の益田先生は、著書の中でこう言っています:
「親を憎むのをやめる方法」とは、
親を理想化することでも、全肯定することでもなく──
“親を人間として再定義すること”だと。
この言葉は、僕の心に深く残りました。
あなたにも、「許せない誰か」がいますか?
その気持ちは、簡単に消えるものではありません。
でも、「その誰か」を再定義できたとき、
あなた自身が、“いまを生きやすくなる”かもしれません。
最終章 “あなたの物語”を生きていく

僕はいま、こうして言葉を紡いでいます。
うまく言えないこともある。
過去の記憶に飲み込まれそうになることも、まだある。
でも、こうして「語ること」が、僕の人生を取り戻す一歩になっているのだと思います。
このブログを書く中で、
僕は、もう一度「自分の声」を聴き直すことができました。
なぜ、つらかったのか。
なぜ、涙が出なかったのか。
なぜ、いまも生きづらさを抱えているのか。
それは、僕だけの問題じゃない。
社会の構造や、親の人生や、幼少期の環境──
いろんな要因が、複雑に絡み合っていた。
でも、だからこそ
“スキーマ”というレンズを通すことで、
「自分を責めるしかなかった過去」を、
「誰かと共有できる物語」に変えていけるのかもしれません。
このプロセスは、僕だけの旅ではありません。
あなたにも、あなた自身のスキーマがあるはずです。
あなたにも、まだ言葉になっていない“違和感”があるかもしれません。
どうか、あきらめないでください。
「これまで」がどうであったとしても、
「これから」を、少しずつでも変えていけるように。
あなたの人生の物語は、
まだ書き終わってなんかいません。
最後に、僕はこう記しておきたいと思います。
「このブログを書く過程で、自分を苦しめていたトラウマに辿り着くことができました。“まっすぅ先生”という実在の精神科医の視点をもつ、対話型AIのサポートを受けることで、安心して、自分と向き合えました。これは、僕自身の応援歌であり、同じように悩むあなたへの応援歌でもあります。」