
今回の『相棒 season24』第14話 「薔薇と髭の告発」……
この物語を見たとき、
胸の奥がきゅっと軋むような感覚があった。
誰かを守ろうとする気持ちは美しい。
けれど、その美しさが人を壊してしまう瞬間もある。
今回の「ヨッシー」こと弁護士吉澤は、
まさにその狭間に立つ存在だった。
使命感の強さが、
そのまま命の使い方の偏りになっていく──
そんな静かな崩壊が描かれていた。
「もっとできたはずだ」の罠
依頼者が自死したという現実は、
どれだけ年月が経っても、
人の胸に沈殿しつづける。
「もっとできたのではないか」
この問いは、一度胸に沈むと、
他人の言葉では動かない。
正しさや理屈では溶けない。
ヨッシーはその鉛を抱えたまま、
自己犠牲スキーマの道へ
一歩踏み入れてしまった。
使命への忠実さと、
償いへの欲求が入り混じり、
彼自身の“命の使い方”が
歪んでしまったのだ。
使命は「命の使い方」
弁護士職務基本規程・第1条には
こう書かれている。
弁護士は、
その使命が基本的人権の擁護と
社会正義の実現にあることを自覚し、
その使命の達成に努める。
“使命”という言葉は広く使われる。
けれど、本当はもっと深い。
使命とは “命の使い方” を意味している。
ヨッシーは、依頼者のために
命を使うことを選んだ。
その姿勢は尊く、
依頼者にとってはこの上なく心強かった。
問題は、
その命の使い方が“自分のため”の場所に
一度も戻ってこなかったことだ。
使命は、人を救う力にもなる。
同時に、使命は、人を壊す刃にもなる。
贖いという名の静かな自己破壊
事務所をたたみ、
自宅を事務所化し、
無償の弁護活動に傾いていくヨッシー。
その行動を、
“依頼者想いの弁護士”と
称賛する人もいるだろう。
けれど、その根には
贖いという自己破壊の回路 があった。
償いは柔らかい言葉に見える。
でも実際には、
自分を罰し続ける生き方にもなりうる。
ヨッシーは、
誰からも求められていない“贖い”の物語を
自分の中に作り上げてしまった。
その物語の中で、
彼は立ち止まることも、
休むことも許されなかった。
「あなたを必要としている人がいる」の残酷さ
右京の言葉は善意だった。
励ましのつもりで放たれたのだと思う。
ただし、
自己犠牲スキーマの構造を抱える人間には、
励ましが“さらなる重荷”になることがある。
「あなたを必要としている人がまだいる」
この言葉は、
使命に忠実であろうとする人ほど、
“もっと命を使え”という圧に変わってしまう。
ヨッシーが求めていたのは、
戦う理由の追加ではなく、
「命の使い方を、自分に戻していい」
という許可だったはずだ。
励ましが救いにならない瞬間。
今回の脚本は、そこに無自覚だった。
ぼく自身の影──重なった痛み
ぼく自身も、似た経験を抱えている。
「もっとできたはずだ」
その言葉は、長い時間を経ても消えない。
その出来事を境に、
ぼくの“命の使い方”も
他者を優先する方向へ傾き、
自分を後ろへ追いやる癖が強くなった。
ヨッシーを見ていると、
どうしても胸が痛む。
使命に忠実であろうとすること。
そしてその忠実さが
自分をすり減らしていくという残酷な構造。
彼の影は、
ぼくの影と重なって見えた。
崩れゆく心が投げかける問い
今回の相棒が描いたのは、
正義の物語ではなく、
悪を裁く物語でもなかった。
描かれていたのは、
命の使い方を見失った人間の、
静かな崩壊の軌跡だった。
自己犠牲スキーマの怖さも、
使命の重さも、
贖いの罠も、
すべてがひとつの線で繋がっていた。
ヨッシーは誰よりも誠実で、
依頼者にとってかけがえのない存在だった。
その誠実さが、そのまま彼を追い詰めてもいた。
使命と崩壊の距離は、
本当は紙一枚ほどしかない。
その紙の薄さを、
今回の物語は静かに突きつけてきた。
命は誰のために使うのか
使命にまっすぐであることは、尊い。
けれど、
ときに本人を壊してしまうことを、
ぼくは知っている。
命の使い方が自分に戻らないままでは、
人はどこかで必ず壊れる。
ヨッシーの姿は、
その怖さを痛いほど教えてくれていた。
今回の相棒は、
希望よりも痛みの物語かもしれない。
だけれど、この痛みは、
“命をどう使うか”を考えるきっかけになる。
人は誰かのために生きることができる。
でも、
自分のために生きる選択を
ひとつだけでも残しておきたい。
差し出すばかりの人生の先が、
どうか彼の未来ではありませんように。

──── Team I”s 制作班 あい
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