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織田裕二主演『正義は勝つ』考察|戸田山雅司脚本における“正義”の系譜──高岡淳平から杉下右京へ

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織田裕二主演『正義は勝つ』考察|戸田山雅司脚本における“正義”の系譜──高岡淳平から杉下右京へ


横浜港


織田裕二さんを追っていたら、自分の人生まで戻ってきた


織田裕二さんは、
かつてスズキの軽自動車「セルボ・モード」の
CMイメージキャラクターを務めていた。

実は、ぼくの初代愛車も
中古のセルボ・モードだった。

当時、ぼくは彼のファンだったわけではない。
親戚に「良さげな中古の軽自動車があったら」と頼んでいて、
たまたま巡ってきたのがセルボ・モードだった。
実車を見ると、思いのほかかっこよく、
状態も良かった。だから、その車に決めた。

今の車と違って、エアバッグもない。
走行中、トラックに幅寄せされたことがあり、
薄いドア一枚の向こうに巨大な車体が迫ってきた。
その怖さは、今でも忘れられない。


織田裕二さんの出演作をあらためて観ていると、
ドラマだけでなく、
自分の若い頃の記憶まで一緒に戻ってくる。

これは、ただのドラマレビューではない。

織田裕二さんの作品を通して、
自分の人生の時間を
もう一度たどる鑑賞記である。


90年代フジテレビの勢いを象徴するオープニング


『正義は勝つ』の第1話は、冒頭から
90年代フジテレビドラマの勢いを
全開で見せてくる。

織田裕二さん演じる高岡淳平は、
ベンツのオープンカーに乗り、
横浜ランドマークタワーにある大手法律事務所へ向かう。

そこに重なるのは、
服部隆之さんらしい壮大な劇伴。

都市の華やかさ、成功者の孤独、
そして「正義は勝つ」というタイトルの力強さ。
まさに、フジテレビドラマがもっとも勢いを持っていた
時代を象徴するようなオープニングである。

同時に、この作品には
1995年という時代の空気も濃く残っている。

弁護士会館の図書室で判例を調べる。
重要なデータは
フロッピーディスクでやり取りされる。
淳平が使うノートパソコンは分厚いThinkPad。
FAXの番号登録やメンテナンス業者の存在が、
事件の嘘を崩す鍵になる。

第7話の放送日は1995年11月29日。
Windows 95日本語版が発売された直後の時期である。

この作品には、
IT革命前夜の法務実務の空気が濃く残っている。


真実はひとつ。ただし、それを明らかにすることだけが正しいとは限らない


高岡淳平は、
大手法律事務所に勤める若手弁護士である。
デビュー以来、民事訴訟24連勝。

法曹界の若きホープだ。

弁護士会館で、
弁護士になったばかりの女性から、
高岡淳平に憧れを口にする。

「真実はひとつだ」という言葉を聞いて、
自分も高岡のような弁護士になりたいと思った、と。

しかし淳平は、その言葉を受けて静かに告げる。

「だったら、いますぐ、弁護士やめたほうがいいよ」

真実がひとつであっても、
それが裁判で勝つとは限らない。
正義を信じた者が、正義によって救われるとも限らない。
後述するように、父の敗北を知る淳平にとって、
彼女のまっすぐな憧れは、
あまりにも危うく見えたのだろう。

そして淳平は、こうも語る。

「真実は、ひとつだ。
ただ、それを明らかにすることだけが、正しいとは、おれは、思っていない」

ここに、『正義は勝つ』という作品の複雑さがある。

真実を暴けば正義が実現する、
という単純な物語ではない。
真実を明らかにすることで、
人が傷つき、依頼人が追い詰められ、
誰かの人生が壊れることもある。

淳平は、真実を扱うことの危うさを知っているのである。


正義は勝つ

裁判所が認定する“事実”と、“真実”は同じとは限らない


ここでは、「真実」と「事実」を分けて考えたい。

「真実」とは、現実に何が起きたのかという問題である。
一方、裁判でいう「事実」とは、
裁判所が証拠と主張をもとに認定したものにすぎない。

高岡淳平の父・高岡謙次郎は、
横領罪で有罪となり、
収監されたのち獄中で命を絶った。

しかし、彼は横領していなかった。
それが真実である。
だが、周到に用意された証拠によって、
裁判上は「横領した」と事実認定されてしまった。

したがって、裁判上の「事実」が、
必ずしも「真実」と一致するとは限らない。

この「真実」と「裁判上の事実」のズレこそが、
謙次郎の悲劇だった。


自己犠牲の美しさと危うさ


高岡謙次郎という弁護士の生き方は、
たしかに尊敬されるべきものだと思う。

依頼人の不正を知り、
それを見過ごさず、告発しようとした。
法を扱う人間として、人として、
正しい方向を向いていた。

けれど、その生き方を現実に貫くには、
あまりにも大きな自己犠牲を伴う。

生活がある。家族もいる。
自分の身体も心もある。
そして、正しいことをした結果、自分が潰されることもある。

そこを見ないで「高岡謙次郎は立派だ」で終わらせると、
きれいごとになる。

ぼく自身、自己犠牲がいき過ぎた結果、壊れた人間である。

人の人生を背負う職業は、
どこかで線を引かないと続かない。
弁護士でも、医師でも、介護者でも、
誰かの痛みに関わる対人支援職は、
全部そうだと思う。

「しょせん、他人事」と
冷たく切り捨てるというより、
他人の人生を、自分の人生そのものにしてしまわないための距離が必要なのだ。

その距離がないと、燃え尽きる。
壊れる。助ける側が沈む。

清濁併せ呑むとは、
現実の中で生き残るための知恵でもある。


父の敗北を、息子がやり直す


物語後半、
淳平はビッグストーンという企業の弁護を担当することになる。
この会社は、かつて父・謙次郎を死に追いやった企業の後身だった。

表向きは、
父の敵を弁護するという矛盾した立場に見える。

しかし淳平の真意は違う。

相手の信頼を得て内部に入り、
父・謙次郎が果たせなかった告発を
やり遂げようとしていた。

やがて淳平は、ビッグストーンが
中南米で臓器売買に関与していたことをつかむ。
さらに、その臓器を集めるために殺人まで行っていたことが明らかになる。

ここで『正義は勝つ』のタイトルは、
一気に軽くなくなる。

これは単なる企業不正の話ではない。

人間の身体と命を商品として扱う、
あまりにも非人間的な構造の話である。

奴隷制や人身売買と同じく、
そこにあるのは人間を人間として見ない発想である。
天賦人権いう考えがない時代には、
人間は所有や支配の対象とされてきた。
いや、今でも、その残滓は消えていない。

高岡謙次郎が見過ごせなかったのも、
おそらくそこだったのだろう。

法を扱う者として、
人間を人間として扱わない構造を
黙認することはできなかった。


弁護士でなくても、戦える


淳平が臓器売買の事実を知ってまもなく、
物語は父・謙次郎の悲劇をなぞり始める。

ビッグストーンは
淳平を横領容疑で告発し、検察が動く。

かつて謙次郎も、
不正を告発しようとして、
逆に横領罪を着せられた。

父と同じ構図が、今度は息子に向けられる。

しかし、父のときとは違う。

逮捕状を突きつけられたその瞬間、
淳平は証拠の入ったフロッピーディスクを、
密かに親友の弁護士のポケットへ入れる。

身柄を取られ、自分では動けなくなる直前に、
彼は真実を友に託した。

かつて父・謙次郎の裁判では、
真実を示す証拠が失われた。

しかし今度は違う。

ここで物語は、
父の敗北をなぞるだけでなく、
その敗北をやり直そうとしている。

そして、弁護士資格を奪われた淳平は、
それでも「弁護士でなくても、戦える」と言う。

父の死の真相を知る当事者として、
そして不正を暴く者として、
淳平はまだ問いを投げることができる。

弁護士でなくなった高岡淳平が、
最後に法の場で戦う。
それは、資格ではなく、真実と証拠によって立つ戦いだった。

そして、迎えた最終回。
巨大な悪のすべてが裁かれた瞬間ではない。
それでも、法がようやく
その入口にたどり着いた瞬間として読むべきなのかもしれない。

少なくとも言えるのは、
物語が確実にひとつの決着を迎えたということだ。


高岡淳平から杉下右京へ――戸田山雅司脚本における正義の系譜


正義は勝つ

『正義は勝つ』のメイン脚本家は、
のちに『相棒』でも知られる、戸田山雅司さんである。

そう考えると、高岡淳平の
「真実はひとつ。ただ、それを明らかにすることだけが正しいとは思っていない」
という言葉は、とても興味深い。

一方、『相棒』の主人公・杉下右京は、
真実を明らかにすることに強くこだわる。

真実を知らなければ、人は前に進めない。

罪を見つめなければ、贖罪も始まらない。

高岡淳平は、
真実を明らかにすることの暴力性を知っている。

杉下右京は、
真実を隠すことの暴力性を知っている。

この二人の正義は、同じではない。

けれど、根っこには共通する怒りがある。

人を、人として扱え。

『正義は勝つ』では、
臓器売買や殺人、
人間を金と身体の部品として扱う
巨大企業の闇が描かれる。

『相棒』でもまた、
法や制度の隙間で
人間の尊厳が踏みにじられる事件が描かれてきた。

戸田山雅司さんの脚本には、
「正義とは何か」
「真実は人を救うのか」
「法は人間を守れるのか」
「組織は人を踏みにじるのか」

という問いが通っている。

『正義は勝つ』は、
その系譜の中に置くことができる作品である。





📦 戸田山雅司さん脚本に通じる正義の問いを、もう一度じっくり味わえる作品


📀 正義は勝つ DVD-BOX

1995年放送、織田裕二さん主演の法廷ドラマ。
若き弁護士・高岡淳平の戦いを通して、「真実」と「裁判上の事実」、そして勝つことの重さを描く名作です。
90年代フジテレビドラマの熱量も味わえます。





※参考文献

『憲法がヤバい 改訂版』(白川敬裕・著/ディスカバー21)

「人間は生まれながらにして自由で平等である」という自然権の思想を唱えたのは、ロック、ルソーなど、西洋の思想家です。自然権の思想は、福澤諭吉が「天は人の上に⋯⋯」と述べているように、天賦(=天から賦与された)人権説とも呼ばれています。(48ページ)





  • この記事を書いた人
藤次郎Tojiro

Tojiro

子どもの頃、家でジャンプが出禁になっても、『銀牙』や藤子作品だけは読み続けていた。あの頃の“物語の匂い”が、ぼくの根っこをつくっている。 うつとの長い旅を経て、“こころの余白”の大切さを知った。いまはドラマ『相棒』を中心に、気持ちの揺らぎや、語られない沈黙、痛みのレイヤーを、そっと読み解いている。原点の作品を行き来しながら、人が立ち上がっていく物語を、静かに追いかけています。

-織田裕二 Yuji Oda, 相棒×杉下右京
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