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織田裕二主演映画『県庁の星』考察| 「県庁さん」が現場で生活を知るまで

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織田裕二主演映画『県庁の星』考察| 「県庁さん」が現場で生活を知るまで


県庁の星

「県庁さん」が、現場へやってきた


2006年公開の映画『県庁の星』は、
織田裕二さん演じる県庁職員・野村が、
民間企業との人事交流研修として、
地方スーパー「満天堂」へ派遣される物語である。

この映画が描いているのは、
県庁の論理。現場の生活。机上の正しさ。売り場で選ばれる現実。
そのズレにぶつかりながら、
野村は少しずつ変わっていく。

そして最後に残るのは、
大きな改革ではない。

一杯100円のエスプレッソ。

その小さな変化こそが、
この映画のリアルな希望なのだと思う。


「書類作れてなんぼだろ」


序盤の野村は、
県庁職員として非常に優秀である。

上司から「2、3日中に提出してくれ」と言われた書類を、
「今日中に提出します」と返す。
そして、こう言う。

「おれたち、書類作れてなんぼだろ」

この一言に、仕事観がよく表れている。

彼にとって仕事とは、情報を集め、整理し、文書に落とし込み、
上司や組織に評価される形へ整えることである。

彼は、約3万人の県職員から選抜された7人のうちのひとりとして、
民間企業への人事交流研修へ向かう。
それは、事実上の出世コースでもあった。


県庁の星

「県庁さん」と呼ばれる男


満天堂にやってきた野村を、
店長は「県庁さん」と呼ぶ。

野村聡という個人ではなく、
県庁という組織の記号として見られる。

この小さなズレから、彼の研修は始まる。

店長にとって野村は、
「県庁との大事なパイプ役」でもある。

一方で、柴咲コウさん演じる二宮あきは、
野村を「どうせ半年間のお客様」と見る。

この見方の違いも興味深い。

店長にとっては、
行政とつながるために粗末には扱えない人。
二宮にとっては、
半年だけ現場にいて、やがて県庁へ帰っていく外部の人。

つまり、最初の野村は、
まだ誰からも「満天堂の仲間」とは見られていない。


マニュアルがない現場


野村は、満天堂でこう言う。

「接客マニュアルを貸してください。2日で覚えます」

しかし返ってくるのは、想定外の答えだった。

「マニュアル……そんなものないですが」

ここには、県庁と現場の違いがよく出ている。

野村にとって仕事とは、
まず方針があり、手順があり、
守るべき基準があるものだったのだと思う。

だからこそ、まずその「基準」を知ろうとした。
けれど満天堂の現場には、それがない。
少なくとも、野村が想定するような形では存在していない。

売り場では、客が来る。
商品は動く。
問い合わせは飛んでくる。
レジは並ぶ。
仕事は、次々に押し寄せてくる。


ぼく自身、学生時代に
小売業で何度かアルバイトをしたことがある。
そこでは、先輩の動きを見て、真似をして、
分からないところは
その場で聞きながら覚えていくしかない場面が多い。

その意味で、
野村の「接客マニュアルを貸してください。2日で覚えます」
という言葉には、彼の優秀さと同時に、
現場の時間をまだ知らない危うさが表れている。


二宮あきという“裏店長”


二宮あきは、パート従業員である。
しかし、店長からは「裏店長」と呼ばれている。

それは、満天堂の現場を、
実質的に支えているのが、彼女だからだ。

肩書きで動く野村。現場の信頼で動く二宮。

この対比こそが、
『県庁の星』序盤の面白さになっている。


高級弁当は、なぜ売れなかったのか


野村は、現場の問題点を見つけると、
改善提案書を作成し、
店長へ提出する。

その分厚さは、いかにも県庁職員らしい。

ただし、ここで野村が示しているのは、
単なる机上の空論ではない。

彼は見たものを整理し、制度化し、
改善案として形にすることができる。

ただし、その正しさが、
現場に受け入れられる形になっているかは別だ。

あるとき、野村の提案によって、
高級食材を使い、
健康にも配慮した弁当を作ることになる。

松坂牛や、鹿児島産の黒豚。
豪華中華弁当860円。豪華和風弁当980円。

企画としては美しい。

しかし、弁当を作る店員らは懐疑的だ。

実際、野村の高級弁当は売れない。

一方で、従来から売られている380円弁当は、
次々と客の手に取られていく。

ここで野村が突きつけられたのは、
商品の品質ではなく、
生活の現実だった。

どれだけ立派な弁当でも、
日々の買い物の中で選ばれなければ意味がない。
その日の財布、家族の人数、疲れ具合、
明日の生活を抱えながら、
売り場で判断している。

860円、980円という価格帯は、
東京駅の駅弁売り場なら珍しくない。
むしろ、そのくらいの価格帯の商品が普通に並んでいる。

しかし、満天堂は地方都市の日常スーパーである。
そこに来る客は、
旅先の弁当を選んでいるのではない。

同じ900円前後でも、
東京駅と満天堂では、価格の意味がまったく違う。


半額惣菜と生活の現実


二宮は、売れ残って
半額になった惣菜を買って帰る。

ここで見えてくるのは、
彼女自身もまた、
そのスーパーで生活を支える側の人間なのである。


県庁の星

現場知と制度知が交わるとき


物語の中盤、
満天堂に保健所の抜き打ち検査が入る。

ここで物語は、
「この店は安全に営業を続けられるのか」
という存続の問題へ移っていく。

二宮は、野村の改善書について
「悔しいけど、半分以上、当たっている」と認める。

ここで物語は、
単純な「県庁はダメ、現場は正しい」
という構図から離れる。

野村は現場の生活感覚を知らない。
しかし、問題点を見抜き、
整理し、改善案として提示する力は持っている。

二宮たちが持つ現場知と、
野村が持つ制度知
そのどちらか一方だけでは、満天堂は変われない。

このままでは潰れる。
そうなったとき、野村は、まず、
何を指摘され、どこを改善すべきなのか、
事実を確認しようとする。

ここで、野村の県庁職員としての力が
初めて現場の役に立ち始める。

書類を読み、問題点を整理し、改善策へ落とし込む力。
それは、店を生き残らせるために使われる。


もうひとつの“デート”


野村は、県庁の大型プロジェクトから外される。
出世コースから梯子を外される。
さらに、大手建設会社の令嬢との婚約も破断にされる。

彼が県庁内で力を持つ存在だからこそ近づいていた人々は、
その価値が揺らぐと、
冷たく距離を取る。

ここで野村は、
自分が積み上げてきたと思っていたものが、
どれほど肩書きや人脈に
依存していたのかを突きつけられる。

「県庁さん」と呼ばれた男は、
県庁の中でもまた、
ひとりの人間としてではなく、
組織の駒として扱われていたのかもしれない。

そんな野村に対して、二宮は問いかける。

「明日、デート、付き合ってみる気ない?」

それは単なる恋愛の誘いではない。

彼女が野村に見せようとしているのは、
売り場で人が何を見て、
何を選び、何に心を動かすのかという、
生活の感覚だった。

そのことを教えるための、
もうひとつの現場研修だった。


「あなたの大切な日に、このお弁当を」


二宮とのデパ地下での観察を経て、野村は売り方を変える。

「あなたの大切な日に、このお弁当を」

そう掲げて売り出された「祝い膳」は、
同じ高価格帯でありながら、
客の手に取られていく。

変わったのは、弁当の中身だけではない。
野村の視線が、商品から客の生活へ移ったのである。

同じ980円でも、意味が変わった。
ただ高い弁当ではなく、
“特別な日に買う理由がある弁当”になった。

誕生日、記念日、お祝いなら、
手に取る理由が生まれる。
野村はここで、ようやくそのことを学ぶ。

その結果、満天堂の売上は
前年同月比130%を記録する。

野村が県庁職員として培ってきた能力。
そして二宮が持つ、
客の生活を読む現場の感覚。

その二つが噛み合ったとき、
満天堂は初めて動き始める。

『県庁の星』が描くのは、
机上の力が現場を知り、
現場の力が制度と結びついたとき、
組織は変わり始めるという物語なのだ。


県庁の星


県庁は、そんな簡単には変わらない


県庁に戻った野村は、
自ら異動届を出し、
生活福祉課へ移る。

満天堂で、日常生活の中にいる人たちを見た。
その経験が、県庁職員としての力を、
どこへ向けるのかが変わったのである。

しかし、市長は野村の提案を
「前向きに検討する」と言いながら、
実際にはゴミ箱へ捨てる。

野村は変わった。
だが、組織は簡単には変わらない。

ここで県庁が一気に改革されていたら、
物語としては出来すぎだったと思う。

民間企業なら、
現場の判断や経営判断で比較的早く変えられることでも、
役所ではそうはいかない。

法律、条例、規則、予算、議会、前例、部署間調整。
合理的ではないと分かっていても、
それを変えること自体に膨大な工程が発生する。

だからこそ、『県庁の星』のラストは苦い。

満天堂という小さな現場は変わることができた。
しかし、行政という大きな組織は、
変わろうとする個人の熱だけでは動かない。


一杯100円のエスプレッソ


県庁の星

それでも、ひとつだけ変わったものがある。

職員用のコーヒーマシンだ。

エスプレッソは、一杯100円になった。

大改革ではない。
制度がひっくり返ったわけでもない。
県庁が急に市民目線になったわけでもない。

それでも、職場の中に小さな変化が生まれた。
野村が満天堂で学んだのは、
大きな理想を掲げることだけではなかったのだと思う。

県庁の改革案は捨てられた。

しかし、100円のエスプレッソなら、
職員の日常に入り込める。

この小ささがいい。

『県庁の星』の希望は、
巨大な改革ではなく、
その一杯のエスプレッソに宿っている。

そして最後、野村は二宮に向かって、
真剣な表情で言う。

「今度、デート付き合ってみない? マーケティングなしの」

かつて二宮が野村を誘った“デート”は、
客の生活を学ぶためのマーケティングだった。

しかし今度は違う。
「県庁さん」だった男が、
ようやく野村として誰かに向き合う。

その瞬間、二宮の満面の笑顔が、
この映画の小さな希望になる。

『県庁の星』は、
世界を一気に変える物語ではない。

満天堂という小さな現場が変わる。
野村というひとりの人間が変わる。
二宮との関係が変わる。

その小さな変化が、
たぶん次の何かにつながっていく。

だからぼくは、この映画を、
机上の正しさが
現場の生活に出会う物語として記憶しておきたい。






県庁の星 DVD スタンダード・エディション posted with カエレバ
織田裕二さん主演、柴咲コウさん共演による映画『県庁の星』。 エリート県庁職員・野村聡が、出向先のスーパーで現場の知恵と生活者の視点に触れながら、自分自身の仕事の意味を見つめ直していく物語です。 派手な改革ではなく、一杯100円のエスプレッソに宿るような“小さな変化”の余韻が心に残ります。




  • この記事を書いた人
藤次郎Tojiro

Tojiro

子どもの頃、家でジャンプが出禁になっても、『銀牙』や藤子作品だけは読み続けていた。あの頃の“物語の匂い”が、ぼくの根っこをつくっている。 うつとの長い旅を経て、“こころの余白”の大切さを知った。いまはドラマ『相棒』を中心に、気持ちの揺らぎや、語られない沈黙、痛みのレイヤーを、そっと読み解いている。原点の作品を行き来しながら、人が立ち上がっていく物語を、静かに追いかけています。

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