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『交渉人 真下正義』──犯人の心は読めるのに、雪乃さんの心は読めない

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『交渉人 真下正義』──犯人の心は読めるのに、雪乃さんの心は読めない


踊る大捜査線 真下正義

ここでいう『交渉人 真下正義』は、
映画のタイトルでありながら、
真下正義という人物への少し意地悪な問いでもある。

この男は、犯人とは交渉できる。

しかし、雪乃さん相手になると、
なぜか順番を飛ばす。

交渉人なのに、交渉しない。

そこが、真下正義という男の面白さであり、
厄介さでもある。



雪乃さんの返事を待たない男


真下正義。

『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』
で、ロサンゼルス市警で
クライシス・ネゴシエーションの訓練を受けた、
警視庁初の交渉人として登場する。

犯人との短い会話から、
性格や置かれた状況を分析する。

警察上層部が気にも留めなかった
小さな違和感を拾い、
犯人像を特定する。

情報を整理する速さも、
観察力も、
判断力も高い。

仕事中の真下は、
間違いなくプロフェッショナルである。

しかし、恋愛になると、
思いっきりズレている。

その兆候は、
すでにTVシリーズの頃からあった。

銃撃され、ICUへ運ばれた真下を見舞った雪乃さんに、
真下の父(方面本部長)は、
初対面にもかかわらず、


「雪乃さん・・・ですね?
息子から聞いています。
いつもお世話になっているそうで」


と声をかける。

まだ雪乃さん本人には、
恋人として認めてもらっていない。
それどころか、正式な告白すら済んでいない。

しかし、実家ではすでに、
「雪乃さん」という存在が共有されていたらしい。

本人との関係は進んでいないのに、
家族内の情報共有だけは早い。

真下正義、恋愛の順番が最初から少しおかしい。


「恋人じゃない」から「結婚してないよね」へ


本店へ戻った真下は、
雪乃さんに自分の仕事を明かしていなかった。

再会した真下は、満面の笑みで言う。


「恋人にも言うなって言われて 寂しかったろ、ごめんね」


ところが雪乃さんは、困惑気味に答える。


「あたし、恋人じゃないし 別に寂しくなかったですけど」


真下の表情が固まる。

そこで出てきた言葉が、


「雪乃さん、まだ結婚してないよね」


恋人ではない。

ならば、雪乃さんには
別の交際相手がいるかもしれない。
すでに結婚している可能性だってある。
そう心配して確認したとも読める。

しかし、真下正義という男は、その程度では収まらない。

結婚していない。
では、僕と結婚できる。

そのくらい思考が飛んでいても、
まったく不思議ではない。

なぜなら、この男は後に、
付き合っているかどうかも曖昧な相手へ


「結婚して子ども作ろう」


と言い放つからである。


プロフェッショナルの机に、雪乃さんの写真


交渉人真下正義

真下は、机に交渉用の機材を並べる。

ヘッドセットマイクを装着する姿を見て、
雪乃さんは、


「すごーい プロフェッショナルって感じ」


たしかに、仕事中の真下は優秀である。

交渉人としての真下は、
間違いなくプロフェッショナルだった。

ところが、恋愛になると急にズレる。

真下は、交渉用の機材と一緒に、
雪乃さんの写真を入れた写真立てまで机に置いてしまう。

雪乃さんは固まる。

そこへ青島とすみれが入ってくる。


「5年も片思いしてんの?執念深いねぇ」

「雪乃さん、これだけでもストーカーで訴えることできるわよ」


周囲の認識では、
真下と雪乃さんは恋人ではない。

真下の五年間は、片思いだった。
しかも本人の了承なく写真を持ち歩き、
仕事机に堂々と飾っている。

雪乃さんが露骨に嫌な顔をするのも当然である。

ところが、その直後。

犯人との最初の交渉を終えた真下は、
わずかな会話から読み取った情報を、
管理官たちへ矢継ぎ早に説明する。

その姿を見つめる雪乃さんの表情が変わる。


「すごーい」


さっきまで引いていた写真立てを、今度は大切そうに抱え、
真下へ尊敬の眼差しを向ける。

ただし、雪乃さんがこの瞬間に初めて
真下を好きになったわけではないらしい。

映画『交渉人 真下正義』パンフレットのインタビューで、
水野美紀さんは


「いつ頃から雪乃は真下を受け入れたんでしょうね?」


という質問に対して、こう答えている。


「TVシリーズで真下さんが撃たれたあたりだと思うんです」


さらに、ひとりでいる場面では、
雪乃が真下を好きであることが雰囲気として見えるよう
演じたという。

つまり、雪乃さんは以前から真下の好意を知っていた。
そして自分も、真下を嫌いではなかった。

その距離感は、
『歳末特別警戒スペシャル』にも表れている。

真下は雪乃さんに、正月の予定を聞く。


「正月は? 有給取って、どっか遊びに行かない?」


雪乃さんは即答する。


「行かない!」


それでも真下は引かない。


「デートしましょうよ」


このやり取りは、今見るとかなり感慨深い。

雪乃さんは、和久さんに
「研修中はデートなんかしちゃだめだ」
と言われたと答える。そして、和久さんのことを
「警察のわたしのお父さん」と言う。

つまり雪乃さんは、
真下を完全に拒絶しているというより、
和久さんという“父親”的存在を理由にしているようにも見える。

少なくともこの時点で、真下と雪乃さんの間には、
「デート」という言葉が成立するだけの距離感があった。

デートはしていない。
けれど、ただの同僚でもない。

だからこそ、
真下の机に置かれた雪乃さんの写真は、
ただの片思いの証拠ではない。

仕事では犯人の心を読む男が、
自分と雪乃さんの関係だけは読み切れない。
その不器用さが、『交渉人 真下正義』の真下らしさなのだと思う。

そして、その不器用さは、
映画だけで突然生まれたものではない。

歳末スペシャルの後半、
被疑者が袴田課長を人質に取る場面がある。
そのとき真下は、刑事課の部屋から逃げ、外から鍵をかける。

中には、雪乃さんも残されていた。

雪乃さんは、ぼやく。


「ひどぉい! 私のこと置いてけぼりにして……」


これを単なるギャグとして見ても面白い。
けれど、すでに「デートしましょうよ」と言える関係だったことを踏まえると、
少し違って見える。

雪乃さんにとって真下は、もう単なる同僚ではなかった。
だからこそ、“私を置いていった”ことが、
妙に個人的な言葉になる。


真下は一度も「好き」と言わない


『THE MOVIE 2 』の終盤。

拉致されていた雪乃さんの無事を確認後、
湾岸署に戻った真下は、いきなり腕をつかむ。


「一緒になろう 雪乃さん、結婚して子ども作ろう」


雪乃さんは、


「考えさせてください」


と答える。

完全な拒絶ではない。

真下が「だめ?」と聞くと、雪乃さんは言う。


「どうしてこういう時に、得意の交渉術使わないんですか? ネゴシエーターなのに」

「あんな鋭い真下さんでプロポーズされたら うなずいてました」


雪乃さんは、
真下との結婚が嫌だったわけではない。
犯人に向き合うときのように、
自分の心にも向き合ってほしかったのだ。

相手の話を聞く。
相手の心理を考える。
言葉を選ぶ。
相手が「YES」と言えるように伝える。

真下は、犯人にはそれができる。

しかし、雪乃さんにはできない。

しかも、真下はここまで一度も、
雪乃さんが好きです
と言っていない。

恋人。
結婚。
子ども。

未来の話はする。

だが、その未来の入口にあるはずの「好き」を飛ばしている。
「好き」は、自分の気持ちを相手へ差し出す言葉である。

拒まれる可能性を引き受けなければならない。

真下は、その最も怖い部分を飛び越えて、
完成した人生設計だけを見せている。


交渉人真下正義

真下正義の「願望実現型人生観」


真下は、警察庁幹部を父に持つ、
ええとこ育ちの息子である。

父親は、真下を本店で上へ進ませようとする。
湾岸署でも、昇任試験の勉強へ集中できる環境を与えられていた。

もちろん、真下本人も優秀であり、
努力もしている。

ただ、自分が望めば、
周囲が実現する方向へ動いてくれる。

努力すれば、人生は計画した方向へ進む。
そんな成功体験を重ねてきた可能性がある。

ナポレオン・ヒル風に言えば、
「思考は現実化する」である。

真下の中では、

交渉人になる。
出世する。
雪乃さんと結婚する。
子どもを作る。

すべてが
一冊の人生設計手帳に書かれていたのかもしれない。

問題は、そこに雪乃さんの同意欄がないことだ。

真下には悪意がない。

雪乃さんを支配したいわけでも、
傷つけたいわけでもない。

むしろ、自分との結婚は
雪乃さんにとっても幸福な未来だと、
本気で信じている。

だからこそ厄介なのだ。

善意も愛情もある。

しかし、その幸福の設計図から、
相手の意思が抜け落ちている。


愛を語る男より、何を考えているか丸見えの男


雪乃さんは、物語が始まる以前、
アメリカで恋人と結婚の約束をしていた。

しかし、その男は複数の女性と関係を持ち、
薬物犯罪にも関わっていた。

雪乃さんは何も知らずに巻き込まれ、
帰国後には、唯一の肉親だった父親まで殺される。

そんな彼女の閉じた心を最初に開いたのは、青島だった。
事件が終わったあとも病室へ通い、
彼女をひとりにしなかった。

そして湾岸署が、新しい居場所になった。
その日常の中で、真下は試験勉強を教え、
そばに居続けた。

前の恋人は、プロポーズをしながら、
裏では彼女を裏切っていた。
真下は、言葉選びは壊滅的だが、裏がない。
考えていることが、顔にも行動にも全部出る。

傷つけられた雪乃さんが、
不器用すぎるほど嘘のない真下を選んだ。

そう考えると、
この二人の結婚は少し違って見える。

『踊る大捜査線』は、
当初予定されていた恋愛路線を早い段階で退けた。
青島も、すみれも、室井も、
恋愛の結論は描かれていない。

その中で、唯一、片思いから結婚、
そして子どもまでたどり着いたのが、
真下と雪乃さんだった。

犯人の心は読めるのに、雪乃さんの心は読めない。
五年間も思い続けながら、
肝心なときに「好き」と言えない。

それでも、雪乃さんは知っていた。
この男には裏がない。
そして、ほっとけない。

誰も恋を完成させなかった『踊る大捜査線』で、
最もズレた男だけが結婚した。
それが、真下正義という男である。





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  • この記事を書いた人
藤次郎Tojiro

Tojiro

うつと約20年。話すよりも書くことが自然で、いつも言葉を綴ってきた。 子どもの頃から作文や日記が好きで、高校では論文で男子唯一の入賞。2004年からブログを書き、法務職として民間と官公庁の双方で文書を作ってきた。 家族の介護・看取りを経て、今は『相棒』『踊る大捜査線』、織田裕二さん主演作品を中心に、制度のひずみや、善意が無自覚に人を傷つける構造を読み解いている。 “空気”に流されず、“当たり前”とされていることを疑い、自分の頭で物事を考える力を養えるブログを目指している。

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