
強い刑事・恩田すみれ
恩田すみれは、強い刑事として描かれてきた。
言いたいことは言う。
相手が本庁の人間でも引かない。
被害者に寄り添い、
自分が正しいと思ったことを貫き通す。
『踊る大捜査線』の中でも、
ひときわ芯の強い人物である。
けれど、久しぶりに
『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル』を見返して、
その印象が少し変わった。
強くしていなければ、
自分が崩れてしまいそうだったのではないか。
そんなふうに見えた。
「怖くて、もういや」
『秋の犯罪撲滅SP』で、
すみれはストーカー被害について
青島に語っている。
ストーカー男は、実刑判決を受け、服役している。
模範囚なら仮出所する可能性があるため、
毎日のように地検へ確認していた。
そして、すみれは言う。
「怖くて、もういや。どこかに、引っ越して、隠れて。」
さらに、
「もう、辛くて、ツッパってんの、いやんなっちゃった。」
被疑者だったストーカー男は収監されている。
それでも、被害を受けた側の人生は元には戻らない。
「事件が解決した」という警察側の時間と、
被害者が生きる時間は違う。
すみれは刑事であると同時に、
その恐怖を抱え続ける被害者でもある。
実家のある大分へ戻ることも考えていた。
父親との電話からは、
大分へ戻ることや再就職について、
以前から話していたようにも見える。
すみれはかなり前から、警察を辞め、
東京から離れることを
現実的な選択肢として考えていたのではないか。
「もう少しやってもいいかな」
そのすみれを、青島は引き留める。
湾岸署には、すみれの思いを理解してくれる仲間がいる。
青島はそれを、「オレたちの警察」と呼ぶ。
やがて湾岸署の仲間たちが姿を現す。
みんな笑顔だ。あたたかい。
我が家へ帰ってきたような空気。
そして『Love Somebody』が流れる。
すみれは涙を拭い、
「もう少しやってもいいかなっと思っただけ」
と言う。
ドラマとして、とても気持ちのいい終わり方である。
けれど、ここで何かが解決したわけではない。
ストーカー犯への恐怖は消えていない。
仮出所への不安も残っている。
本店と所轄の関係も変わっていない。
この回では、刑事が刑事を尾行し、盗聴し、疑い合っている。
室井自身も、その状況に疑問を抱いていた。
すみれが変えたのは、人生ではない。
「もう少し」続けることにしただけだった。
あたたかい余韻が、痛みを包む
この結末を見ながら、
以前『相棒 season24』
について書いた記事を思い出した。
そこで取り上げたのは、
“語られる物語の表面と、
語られない痛みの奥行きが分離される構造”
背景にある問題には深く踏み込まず、
最後は象徴や人の優しさによって物語を包む。
それは視聴者に救いを与える。
同時に、現実では続いていく苦しさを
見えにくくすることもある。
優しさであり、同時に限界でもある。
『秋の犯罪撲滅SP』のラストにも、
同じものを感じた。
すみれを迎える湾岸署の仲間たちの
優しさは本物だと思う。
だが、その優しさによって、
「怖くて、もういや」という
本人の言葉まで消してしまってはいけない。
撃たれた胸は、まだ痛む
すみれは警察官を続けた。
そして『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』で、
犯人の銃弾を受けた。
背中から血が吹き出すほどの重傷。
その傷は、事件が終わっても残った。
『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ! 』で、
すみれは青島に自分の身体について語っている。
「わたしも胸が痛い」
「心じゃない。本当に痛いの」
「前に撃たれた ここが、キリキリ痛む」
現在進行形の後遺症である。
『秋の犯罪撲滅SP』で精神的な限界を口にした人が、
その後も刑事を続け、
今度は身体にも傷を抱えた。
それでも、すみれはまた強い刑事として立っている。
「警察を辞めるから」
『踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件』では、
すみれは、再び退職の意思を口にする。
室井との結婚話を
真下から強く勧められていたすみれは、
室井に伝える。
「結婚とか考えてないです。警察を辞めるから」
『秋の犯罪撲滅SP』から約14年。
あのときの「もう少し」は、
やはり永遠の答えではなかった。
すみれは再び、警察を辞めようとしていた。
そして『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』
青島とすみれは、ふたりだけで話す。
自分が以前刺された腰の痛みを口にした青島は、
すみれの傷について、
「知らなかった」
と言う。
『THE MOVIE3』で、すみれは、
青島の目の前で、
自分の身体に残る痛みを告白している。
しかし青島は、その言葉に反応しない。
それどころか、すみれの顔すら見ていない。
青島の意識は、自分の病気の可能性、
自分の命、自分の残された時間に向いたままだった。
すみれは、ちゃんと話していた。
青島が聞かなかったのではない。
聞いていたのに、すみれを見なかったのである。
「青島君から事件取ったら、ただのガキ」
すみれは、青島へ言う。
「青島君から事件取ったら ただのガキ」
かなり核心を突いている。
しかも、『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』
公式が公開した「青島俊作 大解剖図」では、
「青島ブレイン」について、
「ひらめきと暴走は紙一重!かつては『3歳児』と呼ばれたブレイン。」
と紹介されている。
すみれの「ただのガキ」という人物評は、
どうやら、かなり核心を突いていたらしい。
捜査では優秀。
ところが、自分のすぐそばにいる人間との大事な話になると、
それができない。
すみれは何度も明示的に伝えているにもかかわらず、だ。
そして、『FINAL』では、
弾丸の残留物が身体に残っていることが語られる。
さらに診断書と病状説明書には、
神経障害性疼痛、耐え難い痛み、
治療効果は限定的、症状改善の見込みは乏しい、
そして「就労不可」と記されている。
『THE MOVIE 2』で放たれた一発は、
『FINAL』になっても終わっていなかった。
すみれは、あの銃弾を身体の中に抱えたまま、
何年も働いていたのである。
青島は、
「我慢せずに弱音 吐きゃいいだろが」
と言った直後、
「すみれさん 辞めないよね?」
と言って立ち去る。
弱音を吐けと言いながら、
その弱音の結論が「辞めたい」
であることは受け入れられない。
これでは、真剣な話が成立しない。
青島は、事件を追う刑事としては成熟していても、
一人の人間として相手の人生を受け止める場面では、
まだ「ただのガキ」なのかもしれない。
善意の危うさ
周囲に悪意はない。
むしろ、みんなすみれが好きなのだと思う。
だからこそ、「辞めないで」と言ってしまう。
でも、善意だからといって、
その言葉が本人のためになるとは限らない。
すみれが警察を辞めるという決断は、
何年も後遺症に苦しんだ末のものだった。
しかも、医師からは就労不可と診断されている。
その人に対して「辞めないで」と伝えることは、
言った側にそのつもりがなくても、
「まだ頑張れないか」
「もう少し耐えられないか」
「また戻ってきてほしい」
と届く可能性がある。
痛みは、つらい。
仕事をしているときだけではない。
座っていても、歩いていても、横になっていても、
身体のどこかが訴え続ける。
刑事という仕事なら、なおさらである。
耐え難い痛みを抱えた身体に、
さらに我慢を求めることになる。
ぼく自身、常に痛みを抱え、歩行が困難な生活だ。
痛みを抱えているときに
「もう少し頑張って」と言われれば、
それは励ましではなく、追い打ちにしかならない。
痛みも、恐怖も、病気も、
他人が完全に理解することはできない。
それでも、本人が「もう無理だ」と言ったとき、
その言葉を信じることはできる。
そして、そんなときには、
気の利いた言葉など必要ないのかもしれない。
まずは、その人が
そこまで言葉にするまで抱えてきたものを最後まで聴く。
理解できないからこそ、黙って聴くことはできる。
「うん」
「うん」
ただ、それだけでいい。
「怖い」と言った人に、「でも大丈夫」と返さない。
「辞めたい」と言った人に、「辞めないで」と返さない。
すみれが必要としていたのも、
励ましや説得ではなく、
そんな時間だったのではないだろうか。
「自分の言葉を、誰にも受け止めてもらえない。」
そう感じさせないために。
最後まで、「辞めないで」
『FINAL』終盤。
すみれは、故郷の大分へ向かうため、
すでに夜行バスに乗っていた。
警察を辞め、東京を離れ、
自分の人生へ向かおうとしていたのである。
しかし、青島が窮地に追い込まれていることを知ると、
すみれは再び現場へ戻る。
しかも、乗っていた夜行バスごと倉庫へ突入するという、
危険極まりない方法で。
青島が被疑者を確保したあと、ふたりは抱き合う。
そこで青島は言う。
「すみれさん……辞めないよね?」
そして、さらに強く抱きしめながら、
「辞めないでくれ」
と続ける。
『秋の犯罪撲滅SP』でも、青島はすみれに、
「辞表なんか出さないよね?」
と問いかけていた。
それから長い年月が流れた。
すみれは銃撃を受け、
その後遺症に苦しみながら、それでも働き続けた。
『THE LAST TV』では、
「警察を辞めるから」
と自分の意思を明確に口にしている。
そして、ようやく大分へ向かうバスに乗った。
それでも最後に、
青島からかけられた言葉は、
「辞めないでくれ」
だった。
ここまでくると、思ってしまう。
すみれは、あと何度
「辞めたい」と言えばよかったのだろう。
新作には、出なくていい
『室井慎次』二部作のシナリオ・ガイドブックには、
すみれが警察を辞め、今も後遺症に苦しんでいることが
記されている。
そして、
苦しんでいるのはすみれだけではなく、彼女には家族もいる、
という趣旨の記述がある。
すみれは大分で家族と暮らしている。
プロフィール上、彼女には弟がいる。
両親が大分で健在だったことも記されている。
ただし、一緒に暮らしている「家族」が、
両親なのか、弟なのか、
あるいは別の家族なのかは明らかになっていない。
それでも、ひとつだけ分かる。
彼女の痛みは、彼女の身体の中だけで完結していない。
通院や生活を支えること。
痛みに苦しむ姿を見続けること。
代わってやることも、治してやることもできないこと。
大切な人の痛みは、ときに家族自身の痛みにもなる。
ぼく自身、長く、ビジネスケアラーだったからなおさら解る。
高校時代から東京で暮らし、
警視庁で長く働いてきたすみれが、
50歳を過ぎて遠く離れた大分へ生活の拠点を移す。
東京で築いてきた生活を手放し、
大分へ戻るという選択。
その背景には、後遺症も大きく関わっていたのではないだろうか。
『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』で、
すみれさんに、もう一度会いたい。
そう思う気持ちそのものを、否定する必要はない。
でも、再登場することと、
昔と同じ場所へ戻ることは同じではない。
警察官として湾岸署を走り回らなくてもいい。
青島の隣に、昔と同じ姿で立たなくてもいい。
大分で暮らす姿でもいい。
電話越しでもいい。
誰かの会話の中で、話題になるだけでもいい。
けれど、それ以上に思うことがある。
すみれさんは、最後まで誰かを守る人として描かれた。
だからこそ、もう誰かを守るために戻ってこなくていい。
新作には、出なくていい。
ゆっくり、大分で静養していてほしい。
再就職だって、急がなくていい。
必要なら支援を使って、
病院にも通って、
由布院や別府の温泉にでも行って。
誰かを守る側ではなく、
自分を守る時間を過ごしていてほしい。
すみれさんは、もう十分頑張った。
もう、ツッパらなくていい。

