
青島俊作は、部下を部下として見ない
映画『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』で、
青島はこう言っていた。
「俺に部下はいない。いるのは仲間だけだ」
いかにも青島らしい。
階級や肩書きよりも、現場で一緒に走る人間を大事にする。
上から命令するのではなく、ともに事件に向き合う。
その姿勢こそ、青島俊作という刑事の魅力だった。
けれど、
『踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件』を見直すと、
その言葉は少し違って見えてくる。
青島の優しさは、たしかに人を救う。
しかし、その優しさは同時に、
職場という場所に持ち込むには危ういものでもあった。
『THE LAST TV』は、
『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』
の約1か月前を描いたテレビスペシャルである。
王さんの結婚式。
国際指名手配犯をめぐる事件。
偽の本庁刑事による窃盗事件。
すみれの退職。
鳥飼の違和感。
そして、湾岸署に残された最後の日常。
一見すると、いつもの湾岸署らしい、
騒がしくて温かい物語に見える。
だが、この作品には、青島俊作という人間の根本的な危うさも映っていた。
王さんを止めた「家族」という言葉
物語の中心にいるのは、
中国から研修生として湾岸署に来ていた王明才である。
湾岸署では、王さんの結婚式の準備が進んでいた。
真下署長やスリーアミーゴスは仲人をめぐって張り合い、
署内では中国語教室まで開かれる。
事件が起きているのに、結婚式の準備も進む。
真面目なのか、ふざけているのか分からない。
けれど、それが湾岸署なのだと思う。
その結婚式場に、
国際指名手配犯のシン・スヒョンが現れる。
栗山くんの活躍によって本人であることが特定され、
さらに偽刑事から、彼女が拳銃を持っているという情報がもたらされる。
だが、王さんは持ち前の太極拳で彼女を取り押さえる。
そこで終われば、事件は解決だった。
しかし、王さんは騙されていたことに深く傷つき、
シン・スヒョンを人質に取ってしまう。
逮捕するなら心中する、と言い出すのだ。
青島は、王さんを止めるために言葉を尽くす。
自分には王さんが必要だ。
夏美さんは母。
和久くんは自慢の弟。
栗山くんは将来が楽しみな末っ子。
緒方くんは真っ直ぐな長男。
王さんは赤ん坊のような存在。
みんながいなければならない。
青島は、強行犯係を家族のように語った。
この場面だけを見れば、青島は優しい。
王さんを責めず、必要な存在だと伝え、
さらに王さんの凶行を芝居だったことにして、その場を収める。
王さんの両親もいる結婚式場で、彼の面目を守る。
青島らしい優しさである。
しかし、問題はその後だ。
王さんを説得するための一時的な方便として
「家族」という言葉を使っただけなら、
まだ分かる。だが青島は、湾岸署に戻ったあと、
部下たちにも同じことを伝えている。
つまり、これはその場しのぎの説得ではなかった。
青島は本気で、強行犯係を家族のような存在だと思っているのだ。
警察組織は、家族ではない
ここに、青島俊作の危うさがある。
家族という言葉は温かい。
人を孤独にしない。
誰かが困っていれば助ける。
言葉にできないものを受け止める。
青島が王さんに伝えたかったのも、
そういうことだったのだろう。
けれど、家族という言葉は、
いつも人を救うとは限らない。
家族だから、許される。
家族だから、これもやってよ。
長男なんだから。
弟なんだから。
末っ子なんだから。
家族なんだから、分かってくれるよね。
その言葉は、ときに役割を押しつける。
断りにくくする。
不満を言う側に罪悪感を抱かせる。
家庭の中では、しばしば法や制度が入りにくい。
「家庭に法は入らず」という言葉もある。
もちろん、現代では家庭内の問題にも法は関わる。
けれど、この言葉が示しているのは、
家庭という場所が、外から見えにくく、
情緒や関係性によって問題が覆い隠されやすい空間だということだと思う。
それを警察組織に持ち込むのは危うい。
警察は、法治国家を支える法執行機関である。
そこには階級があり、職務があり、
指揮命令系統があり、責任の所在がある。
誰が上司で、誰が部下なのか。
誰が命令し、誰が責任を取るのか。
そこを曖昧にしてはいけない組織である。
にもかかわらず、青島は「部下はいない。仲間だけだ」と言う。
そして『THE LAST TV』では、その仲間たちを家族のように語る。
それは美しい。
だが、美しいからこそ危うい。
「僕は青島さんの秘書じゃない」
その危うさをいちばんはっきり示しているのが、
和久伸次郎である。
王さんを説得しようとする場面で、
青島は和久ノートからヒントを得ようとする。
だが、そこに書かれていたのは、
事件解決のヒントではなかった。
「僕は青島さんの秘書じゃない」
和久くんの愚痴である。
かなり重要な一文だと思う。
青島にとって、和久くんは「自慢の弟」だった。
だが和久くんにとって青島は、
雑用を押しつけてくる上司でもあった。
青島は、部下を仲間として扱う。
家族のように大切に思う。
けれど、その関係の中で、和久くんは不満を募らせていた。
それは、青島が悪人だからではない。むしろ逆だ。
青島が善意で、無邪気で、距離が近いからこそ、
和久くんは「秘書じゃない」と言いづらかったのかもしれない。
家族という言葉は、人を救う。
しかし同時に、人に我慢を強いることもある。
青島の「仲間」は温かい。
だが、その温かさの中で、部下の不満が見えにくくなる。
『THE LAST TV』は、そこを静かに映していた。
そして、新作『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』では、
和久くんは八重洲警察署刑事課長、警部になっている。
警部補のままである青島を、
階級上は追い越したことになる。
これは見逃せない。
『THE LAST TV』で
「僕は青島さんの秘書じゃない」と書いていた若手が、
組織の中で責任ある立場へ進んでいる。
青島が語った“家族”の中にいた和久くんは、
その後、きちんと警察組織の階段を上がっていったのだ。
青島にとっての家族。
和久くんにとっての職場。
そのズレは、新作を見る上でも重要な補助線になるかもしれない。

夏美さんも、栗山くんも、解決していない
この「家族」という言葉の危うさは、
和久くんだけの話ではない。
篠原夏美さんもそうである。
『THE LAST TV』の中で、
夏美さんは仕事と家庭の両立の難しさを口にしていた。
家庭があり、子どもがいて、
刑事としての仕事もある。
後半、子どもから
「悪いやつを捕まえているママはかっこいい」と言われる。
さらに青島の言葉もあり、
夏美さんは湾岸署に踏みとどまったように見える。
それは、ひとつの救いではある。
だが、彼女を取り巻く環境そのものが変わったわけではない。
家庭側の負担、夫の意識、仕事と生活の板挟み。
そうした問題が、青島の言葉ひとつで解決したわけではない。
栗山くんも同じだ。
もともと栗山くんは、
事件そのものに向き合うより、
アプリを作ったり、
パソコンに向き合ったりする時間の長い人物として描かれていた。
今回、彼はスマートグラスのようなガジェットと
顔認証を組み合わせ、
いち早く国際犯罪の被疑者を発見する。
これは大きい。
青島のように走る刑事ではなくても、
警察官として役に立てる場所がある。
栗山くんにとって、それは小さな再起動だったのかもしれない。
だが、それで栗山くんの迷いが完全に消えたかは分からない。
自分の適性と
職場の期待がずれている問題は、簡単には消えない。
夏美さんも、栗山くんも、湾岸署に踏みとどまる理由は見つけた。
しかし、働き続けるための環境そのものが整ったわけではない。
「家族だから大丈夫」ではない。
「仲間だから乗り越えられる」でもない。
人が働き続けるには、言葉だけでは足りない。
役割の整理、負担の分担、環境の改善が必要になる。
『THE LAST TV』は、その問題を完全には解決しない。
むしろ、解決しないまま、FINALへ向かっていく。
鳥飼の違和感と、室井の選択
『THE LAST TV』には、FINALへつながる不穏な線もある。
そのひとつが、鳥飼誠一である。
鳥飼は『THE MOVIE3』で登場した人物だ。
青島と行動をともにしながらも、
その正義感にはどこか危うさがあった。
『THE LAST TV』でも、その違和感は残っている。
「青島さんは手強いですね」
鳥飼は、凶悪犯をただ逮捕して裁きに委ねることに、
どこか納得していないように見える。
青島が守ろうとする現場の倫理、
手続きを踏む正義、人間を人間として扱う姿勢。
それらが、鳥飼には甘さに見えていたのかもしれない。
「青島さんは手強いですね」という言葉も、
純粋な称賛ではない。
鳥飼にとって青島は、自分の正義を阻む存在になりつつあった。
この違和感は、『THE FINAL』への導火線になる。
そして、もうひとつが室井慎次である。
『THE LAST TV』では、
警察庁による国際犯罪指定捜査室の話が出てくる。
表向きは国際犯罪への対応である。
しかし、その裏には、
市民のお金の動きや個人情報を管理するような危うさも見える。
その役目を、室井に担わせようとする動きがある。
だが、室井はそのポストを引き受けない。
これは、室井慎次という人間にとって大きな選択だったと思う。
青島との約束を胸に、
信念を曲げずに上へ行こうとしてきた室井。
しかし、組織の上へ行くということは、
ときに自分の信念とは相容れない役割を引き受けることでもある。
市民を守るための警察が、市民を管理する側へ回る。
その危うさを、室井は引き受けなかった。
この選択は、出世という意味では正解ではなかったのかもしれない。
けれど、室井慎次という人間にとっては、譲れない線だったのだと思う。
最後の日常に残されたもの

青島の優しさは、多くの人を救ってきた。
だが、その優しさが、いつも正しいとは限らない。
FINALへ向かう前、
湾岸署がまだ“いつもの湾岸署”でいられた最後の日常。
そして、その日常の中に残されていた、
青島俊作の優しさの危うさだった。
『THE LAST TV』は、映画『THE FINAL』の約1か月前を描いたテレビスペシャルです。
王さんの結婚式、湾岸署の日常、すみれさんの決断、鳥飼の違和感。
映画へ向かう直前、湾岸署に何が残されていたのかを確認できる一作です。
『THE FINAL』を見直す前に挟むと、物語のつながりがより見えやすくなるかもしれません。