
『銀牙 -流れ星 銀-』という漫画をご存知だろうか。
80年代に週刊少年ジャンプに連載、アニメ化もされた熱き”犬(おとこ)達”の物語だ。
物語の舞台となるのは、奥羽山脈に位置する双子峠。この地方最後の”熊犬リキ”をもつマタギ”竹田のじっ様”こと、竹田五兵衛は自ら育て上げた熊犬らとともに、人間をも喰う巨熊”赤カブト”に挑むも、左耳を削ぎ取られ、右足の下半分はない。生を受けたばかりの我が子”銀”を赤カブトから守るため、真っ赤に染まったリキは絶叫をともない奈落の底に落ちていった。ついに人間は赤カブトの軍門に下ったのであった。赤カブトは、双子峠に”牙城”を作り上げ、6年半にわたり、魔王として君臨し続けることになる。爪牙に倒れた祖父”シロ” 父”リキ”に続き、生まれながらにして赤カブトと戦うことが運命づけられた、銀色の虎毛をもつ熊犬”銀”が、日本全国にいる”犬(男)”達を探し求め、かけがえのない仲間とともに赤カブトと戦う、友情と努力と勇気による物語だ。
そして『銀牙 -流れ星 銀-』の連載終了から10年以上のときを経て始まったのが、リキに続き、2代目奥羽の総大将となった銀の息子”WEED(ウィード)"を主人公とする『銀牙伝説WEED』である。
奥羽の楽園という“理想郷”に住む犬たち

人食い熊”赤カブト”から、双子峠を奪還した犬たちは、犬達の楽園を築く。
双子峠一帯の所有者は、じっ様であることから、”奪還した”というより、リキ、銀の飼い主であるじっ様や、1万年以上前からのパートナー 1 である人間たちのもとに”安心・安全”な場所を取り戻したという表現のほうが適切かもしれない。
みんなにいっておくことがある!! 今日よりこの双子峠にかぎり 犬の解放区に指定し いかなる人間の入山も禁止する!!
われらのために赤カブトをたおした犬達への報酬だ!
だれにも文句はいわせん!!・・・ごちゃぬかす野郎がいたら スキー場など このわしが閉鎖してやる!!
この辺一帯の山の権限はワシにあるんじゃからのぅ 2
野生に生きる犬たちにとって”奥羽の楽園”とは、心理学的に言えば、「安全基地(Secure Base)」に他ならない。ウィードが、生き別れになった兄弟(幸村、誠”ジョー”)を探すために“旅”に出たり、“愛”を育んだり、妻”小雪”との間に生まれた仔“シリウス、オリオン、リゲル、ベラ”といった次世代を育てるために必要な土台。私がこうしてブログを書いたり、パーソナル哲学を編んだり、感性を磨いていけるのも、“愛の安全基地”があるからこそ。
そして、楽園に住むことができる条件は、たったふたつだけ──”こころ正しきものは誰でも住める 3 そして──”人間に迷惑をかけなければ好きなだけ滞在できる” 4 (このふたつの条件を、甲斐3兄弟の生き残り、黒虎が述べている。)
ときに 生きるってのは死ぬより辛いこともある…

続編である、『銀牙伝説WEED』で、なんども出てくるセリフ。
ときに 生きるってのは死ぬより辛いこともある... 5
野生で生きるということは、あまりに過酷だ。人間から虐待を受けて育ったり、生まれてすぐに捨てられたりした場合などは特にだ。
だが、人間であっても、誰もが、このような状況になることがある。
たとえば、うつ病を患っているとき──脳の働きによって、 未来が見えず、過去は後悔ばかりで、今この瞬間もただただ辛いという、三重苦のような状態になる。すると、脳は“これを終わらせる方法”として「死」を選択肢として浮かべてくる。それが、「死にたい」という感情の正体だ。
希死念慮が、頭をよぎる瞬間。
だが、大切なのは────「死にたくなるのは、あなたが弱いからじゃない」「脳がそう思わせているだけ」「一時的な“錯覚”の中にいるだけ」である。心とは脳であり、うつ病は、脳という臓器の病気であり、うつ病は“絶望感”を直接刺激する病気なのである。
絶望感と無力感を与える周囲の無理解という”罪”
昔に比べ、かまりマシになったと感じるが、いまだにうつ病に対する周囲の無理解には、”絶望感”と”無力感”を覚える。
精神科医によると、当事者は「家族や周りの人から誤解されたり、酷いことを言われたりすることが多いが、どうしたらそうゆう人たちからの偏見を減らせますか」と聞かれるとのこと。悲しいかな。周囲の無理解は続くのだ────心(脳)を理解するためには、”能力”と”才能”の有無も問われる。でも、周囲の人には、時間もエネルギーもモチベーションもない。それは多くの人には、無理なんだろう 6 』とのこと。
戦闘に長けていなくても”生きる術”をもつ奥羽の犬たち
自己肯定感が、だだ下がりするのが、うつ病だ。こんなとき、『銀牙伝説WEED』に出てくる、ある小心者の二匹の姿を見ると、ホッとする。それは、”GB(イングリッシュセッター)”と、”佐助(柴犬)”だ。その理由は、”生きてていいんだ”自分にも価値がある”と思わせてくれるから。
銀は言う。”他犬の幸せを踏みにじり、世の正義を歪める悪党には絶対退いてはならない!!・・・鉄槌を喰らわせ、と 7 その鉄槌とは、なにも、相手を圧倒する武力(誰もが、”絶 天狼抜刀牙”を使えるわけではない)に限らない。山鳥など、食料となる獲物を捕るために必要な跳躍力であったり、獲物を追い立てるための勢子としての脚力、嗅覚や、情報収集や洞察力で仲間を援護する。そして──仲間を笑顔にする力もだ──闘いの場は、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。殺伐した場になるのは想像に容易い。だからこそだ。お調子者のGBと佐助が、顔を合わせる度に、ちょっかいを出し合う光景は、今となっては、奥羽軍のちょっとした風物詩であり、仲間達にとって、束の間のひととき── 湧き水のような、一服の清涼剤──のようだ。ムードメーカー的な存在だが、ウィードと出逢うまでは、山賊犬ネロの使い走りとして生きてきた過去を持つ。小心者で臆病で、理不尽な奴らに へつらうことで生きのびて来た。
疎外感と自分の存在価値への疑問
闘いの局面における、主だった彼らの役目は、女子供を避難させるための護衛などだ。戦いにおいて何一つ役に立たないお荷物であることを彼らは自覚している。仲間が命をかけて戦っているのに、自分は役立たずだ。”オレよう…みんなから除け者にされた様で悔しかったんだ…”──存在価値の揺らぎ・自己否定。疎外感──。”悔しいんだよな。いつかオレも、やってやる”と。こんなとき、ロシア軍用犬という戦闘のプロして育った、奥羽軍随一の女戦士リディアの言葉が、なんとも優しい(殺し屋ジェロムが惚れるわけだ 笑)
リディア:いいわよ 力を備えて生まれてきた者は…でもGBはね 優しさでここまで生きて来られたのよ。皆が同じ役目で生まれてきては…世の中なり立たない 8 ──
一隅を照らすものこれ国の宝なり
でも、仲間は分かっているんだ。GBの存在価値を。そして、ちゃんと認めている。指揮官である、ウィードの役目は、部下の力量を推し量り、適材適所に配置すること。名付け親であるGBのことを、誰よりも知っているウィードには、彼の気持ちが痛いほど分かるから、なおさら辛い。リディアの言葉から──それぞれが、それぞれの持ち場で、役目を果たしてこそだ──まさに、最澄いわく”一隅を照らすものこれ国の宝なり”なんだ。GBよ、卑下することはない。もっと誇っていいんだ。総大将の奥方様の護衛というお役目は、誰にでも出来ることではないんだ。脚力のある、セッターで、己の戦闘力を知っているということは、どうすれば、助けられるか、助かるか、生きぬく術を知っているということ。
優しさは、代わることじゃなく、“代わろうか?”と声をかけること
初代奥羽の総大将リキに仕えた”闘将ベン”の長男、剣も、また、やさしい。
剣 「GB…キツイだろ 代わろう オレにも手伝わせろ」
GB 「いいんだ これはオレの役目だ… オレにだって何かできる事を皆に見せてやるんだ…」 9
GBの「たとえ、どんな小さいことでも、自分にできることをやる」っていう姿勢が、胸に染みる。剣は、GBの役目と、その任務の大変さを理解している。この“声をかける側”の優しさがまた、救いになる。生きていける。でも、ここで、その任務を変わってしまっては、GBの存在意義が揺らぐ。居場所が無くなってしまうことを剣は分かっている。なぜなら、剣は、GBは役目を全うする”漢(おとこ)"であることを知っているから。
「共生」と「役割の再発見」
うつ病の渦中にいると、自分の価値なんてもう無い、と錯覚するけど──こういう“支える者と支えられる者”の自然な循環って、まさに「共生」とか「役割の再発見」なんだ。
僕にとってGBは、ただの脇役じゃない。
「小心者」で「お調子者」で、だけど、そこに“いる”ことで仲間の心を支えていた存在だ。
戦えなくても、吠えられなくても、黙ってそばに立ち続けることで誰かの背中を守る。
それは、うつで苦しかった僕にとって、どれほど励まされる姿だっただろう。

そして佐助。
窮地に陥っている大将ウィードや、その兄”幸村”のため、援軍を求め、銀たちがいる奥羽に向かって諏訪から奥羽までの長い距離を、伝令役として、肉球がつぶれ、血まみれになっても走り続けるその姿に、
かつて僕が飼っていた柴犬の面影を重ねていた。
怖くても、弱くても、それでも走る。
そんな“等身大の強さ”が、子どもだった僕にも、大人になった僕にも、ずっと届いていたのかもしれない。
今の僕もまた、誰かの“GB”であり、誰かの“佐助”であれたらと思う。
完璧じゃなくていい。強くなくてもいい。
ただ、「あいつがいてくれて助かった」と、いつか言ってもらえるなら。
それだけで、生きていてよかったって、思える。
この文章を、ここまで読んでくれたあなたがもし、
「自分には何の役目もない」「誰の役にも立っていない」――そう思っていたなら、
どうか、GBや佐助を思い出してほしい。
彼らの役目は、「そこにいること」「一緒にいること」だった。
その存在そのものが、仲間の“奥羽の楽園”だった。
だから、あなたも、今ここにいるだけで、誰かの心を守っているのかもしれない。
これは、GBと佐助への応援歌であり、
あの頃の僕自身へ、そして、まだ見ぬあなたへの応援歌でもある。
佐助の“火”の章

佐助が仲間に届けようとするのは、決まっていつも、ヘビかカエル。
どちらも野生では栄養豊富なタンパク源だが、にょろにょろと動くヘビは気味悪がられ、
カエルもぴょんぴょん跳ねては、誰にも受け取ってもらえなかった。
それでも佐助は、血まみれになっても、肉球がつぶれても、
仲間のために走り続けた。
そして、あるときから、少しだけ状況が変わった。
猿たちと共闘し、奥羽の仲間たちに「火」という技術がもたらされた頃――
佐助が持ち帰った獲物は、「焼けば食べられるかもしれない」と受け取られ始めた。
その変化は、ほんの小さなことだったかもしれない。
でも、“役に立てなかった贈りもの”が、“仲間を支える糧”に変わった瞬間でもあった。
火は、ただの調理の手段ではない。
「怖いものも、受け入れられる形に変える力」を持っている。
それはまるで、
人が抱えている“不器用な思いや必死な努力”が、
誰かとの関係性のなかで、やがて意味を持つようになる――そんな姿に重なる。
きっと佐助は、自分の必死な行動が報われたとか、理解されたとか、
そんなことは考えていなかっただろう。
でも、“火を通した”その贈りものが誰かの力になったとき、
彼はほんの少しだけ、自分の存在に意味を感じられたかもしれない。
補足的な補足
ちなみに、この「火を使うようになった可能性」は、
作中の描写からも、あながち荒唐無稽とは言えないものだ。
”猿編”で、猿たちは、木の枝を武器として使いこなし、”将軍”に立ち向かっていったし、
奥羽軍の犬たちは、人間の言葉を理解し、人との歴史的つながりを深く持っている。
銀の飼い主だった大輔や、ジョンの飼い主・秀俊先生との関係性はその象徴だ。
また、赤目が人間の道具――たとえば鎌を巧みに使ったり、
1歳を超えると子犬を「良い人間を見極めて」里子に出すという制度まで作っていた。
さらに言えば、奥羽の戦士たちの中には、
30年以上、生き続ける“超高齢犬”も存在し、寿命の常識すら超えている。
それだけの知能と環境があるならば、
「火を起こす」ことも、すでに文化の一部として根づいていた――
そう考えるのも、十分にあり得る話ではないだろうか・・・
──────────────────────────────
引用文献
1”犬は人間の最も古い「親友」 DNAから判明 ”BBC ニュースJAPAN
2『銀牙-流れ星銀-』第13巻”父の教え(8)”/高橋よしひろ/集英社
3『銀牙伝説WEED』第10巻”甲斐犬参上”/高橋よしひろ/日本文芸社
4『~銀牙伝説~レクイエム』第6巻”亡きシリウス”/高橋よしひろ/日本文芸社
5『銀牙伝説WEED』第60巻 ”希望”/高橋よしひろ/日本文芸社
6 お金を稼げない人には価値がないのか、精神科医が解説します(YouTube)
7『銀牙伝説WEED』 第6巻”新たなる闘い”/高橋よしひろ/日本文芸社