
「空虚だった」から、「モッタイナイ」へ
映画館で
『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』
を観ながら、
2時間22分、ずっと考えていた。
この映画は、何を言いたいのだろう。
過去作の登場人物が大量に顔を出す。
新キャラクターも登場する。
コメディも続く。
しかし、最後まで
中心にあるものをつかめなかった。
映画館を出たとき、ぼくの中に残った言葉は、
「空虚だった」
だった。
もっとも、
自分が何かを見落としている可能性は当然ある。
ならば、時間をかけて確認してみよう。
そう思い、劇場で、パンフレットを購入し、
255ページある
シナリオガイドブックを予約した。
そして発売日に手元に届いた。
制作側が何を考え、
何をやろうとしていたのか。
シナリオを読み、
プロデューサー・亀山千広氏、
脚本家・君塚良一氏、監督・本広克行氏、
織田裕二氏らのインタビューを丹念に読み込んだ。
必要なところは、
過去作の映像にも戻った。
フジテレビ自身が問い直した「楽しさ」
2026年、フジテレビは新たな企業理念を掲げた。(1)
そこには、
「その楽しさは、何のためにある?」
「楽しさを、はき違えるな。」
「楽しさに、驕るな。」
「楽しさを、隠れ蓑にするな。」
とある。
今回の『N.E.W.』を考えるうえで、
ぼくは、この言葉を
批評のバックボーンにしたい。
『踊る大捜査線』から笑いをなくせと
言いたいのではない。むしろ逆だ。
かつての『踊る』は、本当に笑えた。
問題は、
その笑いが、何のためにあるのか。
である。
人物の立ち位置が変われば、物語のフェーズも変わる
『踊る大捜査線』は、30年近く続いてきた。
当然、登場人物の立場も変わった。
新城賢太郎は、秋田県警の本部長だ。
沖田仁美は警察庁長官官房審議官・警視監となった。
真下勇気は管理官だ。
青島俊作も、湾岸署の刑事ではなく、
警視庁捜査一課にいる。
人が出世し、
立場が変われば、
与えられる権限も責任も変わる。
見える景色も変わる。
つまり、
人物のフェーズが変われば、物語のフェーズも変わる。
すなわち、30年後には、
30年後にしか描けない『踊る』があるはずだ。
それなのに、再び「走る青島」
過去作の登場人物、
昔ながらの楽しさへ戻ろうとする。
かつての『踊る』は、大真面目だから笑えた
第1作『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』で、
青島は被疑者に刺される。
血を流し、室井に肩を貸され、
すみれの膝の上に頭を乗せる。
青島は室井に、現場の刑事たちを託す。
室井は、
「約束する!」
と答える。
青島は意識を失う。
すみれが叫ぶ。
室井も青島の名前を叫ぶ。
映画館で初めて観たぼくは、
本当に青島が死んだと思った。
ところが、その直後、
青島のいびきが聞こえる。
室井が、
「死んだんじゃないのか」
と言う。
すみれは、
青島が3日間寝ていなかったことに気づく。
映画館のあちこちから、
クスクスッと笑いが起きたのを今でも覚えている。
誰も観客を笑わせようとしていない。
室井も、すみれも、大真面目である。
青島だって、
笑わせるために眠ったわけではない。
それ以前に、3日間寝ていない青島が
応接室のソファに倒れ込み、
袴田課長に起こされる場面が描かれていた。
『歳末特別警戒スペシャル』もそうだ。
湾岸署へ戻ってきた青島を、
どの課へ配属するのか。
人手不足だから、最初は各課が欲しがる。
ところが神田署長が、
「来たのは、青島くんだよ」
と言った途端、全員が黙る。
理由は、
「あいつは、正しいことばかりするから……」
会計課へ入れれば、署長のカラ出張がバレる。
生活安全課なら、湾岸署で銃撃戦が始まりますと。
人事会議だったはずが、
いつの間にか湾岸署の秘密暴露大会になっている。
君塚氏は、
「基本的にリアルだからこそ、笑いというかコメディができる」(2)
と言っている。
長年、『踊る』の人物と物語を脚本によって
作ってきた君塚自身の言葉である。
これは重い。
『N.E.W.』では、笑いがノイズになった
『N.E.W.』では、
真下勇気が室井慎次を思わせる姿で
捜査会議へ現れる。
髪型を整え、額にはシワまで描き、
「捜査を立て直す!」
と、室井の名場面を再現する。
さらに、ニセ青島まで登場する。
織田裕二さんは、
「僕が好きなのはコメディであって、パロディやコントではないんです」(2)
と言っている。
ニセ青島については、
「本広監督のちょっと悪趣味なところが顔を出したかな」(2)
とも語った。
ぼくは、この違いが大きいと思う。
かつての『踊る』は、
人物と物語を大真面目に描いた結果として
笑いが生まれた。
対して、『N.E.W.』では、過去作を知る観客に
「あれだ」と思い出してもらうための仕掛けが、
意図的に置かれている。
「昔から『踊る』には笑いがある。
だからこれも『踊る』のお約束だ」ではない。
「お約束」という便利な一言で覆われていたものを、
構造まで分解したら、実は同じではなかった。
笑いの作り方そのものが変わっているのだ。
誘拐演習は、単なる「顔見せ」ではない
『N.E.W.』序盤では、警察庁とFBIによる
大規模な誘拐事件演習が描かれる。
スリーアミーゴス、木島丈一郎、爆発物処理班の眉田、SATの草壁、
王さん、和久伸次郎ら、
過去作の人物が大量に登場する。
本広監督には、
過去のメンバーをできるだけ登場させたいという意向があった。
もっとも、ここを単なる旧作キャラクターの顔見せと
片づけるのは正確ではない。
亀山氏は、
「今回あの一連はアバンタイトルとは考えていなくて」(2)
と話している。
さらに、冒頭で見せたものが
後の展開につながる構造を意識していた。
そして、
「演習の次の日から事件が始まるので、完全に地続きの4日間の話。」
だという。
つまり、誘拐演習は
旧作キャラクターを登場させる舞台
であると同時に、
その後の本編への仕込みでもある。
その意図は分かった。
だが、意図が分かることと、
それが映画として
機能したと評価することは別である。
亀山氏は、14年ぶりの新作として
「ボリューム感」を
味わってもらいたかったとも語っている。
しかし、そのボリュームが、
作品の焦点を
ぼかしてはいなかったか。
2時間22分だから長いのではない。
2時間22分を、何に使ったのか。
問題はそこにある。
「仲間」とは、何なのか
映画冒頭には、劇中アニメ『セブンベア』が登場する。
そこで、
「一匹では何もできない。」(2)
という言葉が示される。
亀山氏は、『N.E.W.』について、
青島が仲間を作っていく話だと語っている。
ところが、
織田裕二さんは、
美浦とひばりについて、
「今回は一緒になったというだけで、仲間になれたのかはわからないですよ」(2)
と言っている。
では、
この映画でいう「仲間」とは何なのか。
一緒に事件を追えば仲間なのか。
価値観を共有すれば仲間なのか。
信頼関係が生まれて初めて仲間なのか。
『THE MOVIE 3』で青島は、
「オレに部下はいない。いるのは、仲間だけだ」
と言った。
『THE LAST TV』では、
部下を「家族」とまで表現している。
しかし、『踊る』というシリーズは、
この「仲間」という言葉の中身を、
それほど深く掘り下げてこなかったのではないか。
響きのいい言葉は、
それだけで名言に見える。
だが、名言らしい言葉ほど、
一度立ち止まって考えたほうがいい。
「事件にでかいとか小さいとかあるんすか!」と言った青島は、もういない
織田裕二さんは、現在の青島について、
「僕は、青島も半分諦めているんじゃないかなと思ってる。」(2)
と語る。
さらに、
「事件によってやる気の度合いは違うし、普段はそんなやる気満々ではない。」
「やる気や仕事に燃えている男では決してない。」(2)
とも言う。
そして、
「もうちょっとみんな適当に生きようよ。」(2)
という現在の青島像を語っている。
ぼくは、ここに
強烈な違和感がある。
かつての青島は、
「事件に大きいとか小さいとかあるんすか!」
ドラマ『踊る大捜査線』第4話「少女の涙と刑事のプライド」
と食ってかかった男だった。
その青島が、「事件によってやる気の度合いは違う」男になった。
そして「もうちょっとみんな適当に生きようよ」
とまで言う。かつての青島は、もういない。
牙の抜けた虎――。
残念でならない。
そして、もっと引っかかるのは
室井慎次との関係だ。
青島は室井に、
上へ行くことを求めた。
現場を守ってほしい。
組織を変えてほしい。
その期待を受けた室井は、
長い年月をかけて組織の中で戦ってきた。
力を抜いて生きること自体を
否定するつもりはない。
だが、室井にあれほど重い役割を背負わせてきた青島が、
「もうちょっとみんな適当に生きようよ」と着地する。
ぼくは思ってしまう。
室井慎次は、何のために、あれほど頑張ってきたのか。
室井モデルという、もっと先の物語がある
第1作で青島が刺されたころ、
事件を解決した上層部は、
すでにゴルフの話をしていた。
新城賢太郎は、
「兵隊は犠牲になってもいいのか!」
と怒りをあらわにする。
一方、室井は青島に、
「約束する!」
と答える。
現場と上層部。権限と責任。
指揮する者と、危険を引き受ける者。
組織をどう変えるのか。
ここに、『踊る大捜査線』の原点がある。
『室井慎次/敗れざる者・生き続ける者』では、
新城が室井モデルを作ると宣言する。
『N.E.W.』では、
その室井モデルが青島のもとへ届く。
新城賢太郎は、
それをどう制度として形にしたのか。
秋田県警で、どのように運用しているのか。
沖田仁美は、警視庁で何を変えるのか。
真下勇気は、管理官として
何を判断し、何に責任を負うのか。
若い刑事たちは、
室井たちが残したものをどう受け取るのか。
人物のフェーズが変わった今だからこそ、
描ける物語がある。
本広監督の限界──「できない」のではなく、「やらない」
亀山氏は、本広監督について、こう語っている。
「本広克行という監督はやればできるはずなのに、自分で不得意だと勝手に思っているものをやってこなさすぎだという気がしてならないんですよ。」(3)
さらに、
「単純に“室井は自分の担当でなく、青島は自分の担当だ”という固定観念に縛られているんですよ。」(3)
とも言っている。
ぼくは、まさに
ここが本広監督の限界だと思う。
30年間の組織の変化がある。
もっといろいろなことができる。
可能性は、
まだたくさん残っている。
問題だと思うのは、
それができないことではない。
可能性があるのに、
チャレンジしないことだ。
自分が好きな『踊る』という殻から出ようとしない。
本広監督は、
自分の好きな『踊る』なら、ファンも好きだろうと
考えたことを語っている。(2)
だが、本当にそうなのだろうか。
FBIとの演習が終わったあと、青島は、
「青島です、都知事と、いや、警視庁刑事部捜査一課、青島俊作です 」(2)
と名乗る。
本広監督は、この場面について、
「『都知事と同じ名前の……いや』というのが、とにかくここでやりたかったことです。」
さらに、
「若い子は当然、青島幸男さんがわからないでしょうけど、わかる人には思い出してもらって」
と語っている。
しかし、令和の現在、
「青島」と聞いて「青島都知事」を思い浮かべる人は、
どれほどいるだろう。
そもそも青島俊作自身も、
その後ずっと「都知事と同じ名前」を持ちネタにしてきたわけではない。
長年のファンに向けた
サービスを否定するつもりはない。
過去を知っているからこそ笑える場面があってもいい。
ただ、本広監督自身がこれからも
『踊る大捜査線』を続けたいのであれば、
「わかる人には思い出してもらう」だけでは足りない。
新しい観客にも、作品の扉を開いていかなければならない。
そちらのほうが、はるかに重要ではないだろうか。
パンフレットで、
美術進行の大倉謙介氏が
興味深いことを語っている。
若いスタッフは、
「自分たちが『踊る』の世界観を変えてしまうのが怖い」(4)
と感じていたという。
これは象徴的だと思う。
30年続いた作品には、
それだけ強固な「らしさ」がある。
だが、その「らしさ」を壊さないことばかりを考えれば、
作品は少しずつ動けなくなる。
守ることと、停滞することは、同じではない。

『相棒』は、安定しているからこそ変える
ここでぼくは、
同じ長寿刑事ドラマである
『相棒』を思い出す。
もちろん、
『踊る』と『相棒』では制作形態が違う。
『踊る』は映画を中心に
長い間隔で新作が作られてきた。
『相棒』は毎年、
長期間にわたって
連続ドラマを制作し、
ときには劇場版も作る。
単純に同じ条件で比べることはできない。
それでも、長寿シリーズをどう継続させるか
という考え方を比較すると、
違いは際立つ。
『相棒』は、
監督もプロデューサーも変わってきた。
シーズン中には複数の脚本家が参加する。
相棒そのものも交代してきた。
2026年10月21日に始まるSeason25では、
亀山薫から神戸尊へ、
シーズン途中で
再びバトンが渡されることまで発表された。
しかも現在の右京と薫は、
テレビ朝日自身が「黄金コンビ」(5) と呼ぶほど
成熟した関係にある。
今の組み合わせが成立していないから変えるのではない。
成立している状態から、
さらに次へ進もうとしている。
『相棒』は、安住の地にとどまらない。
その姿勢は、以前から変わっていない。
『相棒』の撮影監督を長年務める会田正裕氏は、
水谷豊さんについて、
「水谷さんは安定を嫌う方で、「進化し続けてこそ、時代に追いつける」という哲学を持っているの です。」(6)
と語っている。
そして、水谷豊さんが以前、
「来年も同じことやっていたら、古臭くなってあっという間に終わってしまう」(6)
と話していたことも紹介している。
会田氏は、
長寿シリーズの安定について、
安定は停滞とも捉えられる
と説明する。
これは、『踊る』を考えるうえで
非常に示唆的な言葉だ。
成功したからこそ、
同じことを続けない。
人気があるからこそ、変える。
これまで積み上げてきたものを
壊すリスクを引き受けながら、
新しいものへ進む。
それが『相棒』の「進化」なのだろう。
そして、さらに興味深いのは、
これだけ周囲を変えてきた『相棒』で、
杉下右京という人物の核は
変わっていないことだ。
変える『相棒』、変わらない『踊る』
右京は、不可解なものを放置しない。
真実を徹底的に追う。
犯罪があれば、
相手が誰であろうと見過ごさない。
だが、考えてみれば、
右京がやっていることは特別なことではない。
警察官として、疑問があれば調べる。
矛盾があれば確認する。
証拠を積み上げる。
真実を明らかにする。
徹底して調べなければ、
誤認逮捕や冤罪につながる可能性だってある。
右京は、なぜそこまでするのか。
答えは、実に単純だ。
警察官だからである。
だから右京は、25年以上経っても右京なのだ。
ここで、『踊る』との違いが鮮明になる。
『踊る』は、
君塚氏、本広監督、亀山氏という中核を守り、
過去作のキャラクターを呼び戻し、
「走る青島」を再び見せる。
ところが、その青島自身の核が変わってしまった。
そこに両作品の決定的な違いを見る。
255ページ読んだ結論
シナリオガイドブックを255ページ読み終え、
理解は深まった。
しかし、理解したからといって、
映画が面白くなるわけではない。
むしろ、知れば知るほど、
もっと、いろいろなことができたはずだ。
という思いが強くなった。
だからこそ、
過去の成功体験の中に閉じこもってほしくない。
255ページを読み込んだ、結論は
モッタイナイ。
次があるなら。
30年前の青島をもう一度見せるのではなく、
30年後にしか描けない『踊る大捜査線』を見せてほしい。
────────
引用:
※1
フジテレビ、新たな企業理念を発表 1981年に掲げた「楽しくなければテレビじゃない」から脱却
(2026-05-12 17:09オリコンニュース配信)
※2
踊る大捜査線 N.E.W メトロポリスを駆け抜ける! シナリオ・ガイドブック(キネマ句報社)
※3
室井慎次 敗れざる者/生き続ける者 シナリオ・ガイドブック(キネマ句報社)
※4
踊る大捜査線 N.E.W メトロポリスを駆け抜ける! 劇場用パンフレット(東宝)
※5
前代未聞!!豪華リレー実現!メモリアルシーズン【season25】右京・水谷豊×薫・寺脇康文から右京×尊・及川光博へ――約5年ぶり5度目の《相棒》バトンタッチ!(2026-10-13 テレビ朝日)
※6
人気長寿ドラマ『相棒』の21年間は“進化”の連続だった。
撮影監督が明かす映像への“哲学”(2022-9-28 クリエイターズステーション)
👉 【前回】織田裕二は、本当に「ストイック」なのか──役への熱量と、作品を背負う言葉


