第1章『“やさしさ”という檻──母の言葉の中で僕は消えていった』

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第1章『“やさしさ”という檻──母の言葉の中で僕は消えていった』

「勉強よりも、早く寝なさい! また、発作でたらどうするの」

母のその言葉は、僕の持病を心配してのものだったのだろう。でも、あの頃の僕には、それが“警告”“監視”のように聞こえていた。僕が生きていた世界では、「心配」という優しさの名に裏側に潜んでいた”支配の檻“のようだった。

母の言葉はいつも「あなたのためを思って」と確かに言っていた。でも、真意は、母自身の不安というより”自分の都合を僕に押し付けていただけ”だったのかもしれない。(これが判明するのに、数十年という年月を要することになる)

子どもは、親の“顔色”をよく見ている。母の神経質からくる、イライラは、部屋の空気を蔓延させる。僕は、「言うことを聞いていれば怒られない」「期待に応えれば嫌われない」──そんなふうに思い込みながら、“役割”を演じていた。

いま思えば、それはスキーマ(人生を通して形成された、深く根付いた信念やルール、価値観)の始まりだった。自分の感情よりも、親の感情が優先される。自分の希望よりも、相手の機嫌を損ねないことが大切。そんな“生存戦略”を、僕はいつのまにか身につけていた。

【読者への問いかけ】

あなたにも、「これは本当に優しさからくる言葉じゃないだろうか」とあとから気づいた言葉や態度は、あるのではないだろうか。それは親かもしれないし、先生かもしれないし、恋人や、上司や、パートナーかもしれない。“あなたのため”だからと言われたけれど、ほんとうに、それは、あなたのためを思っての言葉だったのだろうか。

僕は、大人になった今でも、ときどき「また見捨てられるんじゃないか」と思うことがある。でも、それに気づけるようになった。「これって、あの頃のスキーマかもしれない」と。自分の感情に目を向けることを、(長い時間を要したが)許せるようになってきた。

これは、僕が“自分のために生きなおす”ための、小さな再起動(Reboot)だった。

そんなとき、ドラマ『相棒』で、杉下右京が、こう語っていたのを思い出す。

親や教師がたとえあなたのためを思って放った言葉でも そこに少しでも親や教師自身のための気持ちが入っていると あなたは高感度でそれを受信してしまう、つまりあなたが人と話をすること自体があなたが傷つくこととイコールになる。

主観が入るので人は100パーセント誰かのために話をすることはできない、それはあなた自身も同じで相手の言葉に主観が入っていても、あなたを裏切ったことにならないんですよ。(出典:相棒Season10 第15話「アンテナ」


あのとき、この言葉に傷ついたのは、僕が弱かったからじゃない。ただ、ちゃんと愛されたかっただけなんだと思う。

第2章『スキーマという名の”鎖”──心の鍵が外れるような瞬間』

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