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和久さんの「正しいことをしたければ偉くなれ」──では、「正しい」とは何か。『踊る大捜査線』シリーズを貫く“名言”を疑う

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和久さんの「正しいことをしたければ偉くなれ」──では、「正しい」とは何か。『踊る大捜査線』シリーズを貫く“名言”を疑う


踊る大捜査線


和久さんの言葉が、いまも残っている



『踊る大捜査線』を象徴する言葉のひとつに、
和久平八郎のこんな台詞がある。


「正しいことをしたければ偉くなれ」


青島俊作だけでなく、
室井慎次の生き方にも大きな影響を与えた言葉だ。

現場で正しいと思うことを実行したくても、
組織の命令や権限の壁に阻まれる。
それならば、
自分が判断できる立場まで上がればいい。

この台詞は、しばしば
そのように理解されてきた。

しかし、立ち止まって考えてみたい。

そもそも、「正しい」とは何だろう。


「正しい」は、誰の立場から見た言葉なのか


『踊る大捜査線』では、
本店と所轄がたびたび対立する。

所轄は、管轄区域の住民と
日常的に接している。
被害者の顔を見て、声を聞き、
目の前で起きている事件に向き合う。
だから、和久や恩田すみれは言う。


「事件に大きいも小さいもない」


被害を受けた本人にとって、
その事件は人生を揺るがす重大な出来事だ。
事件の規模によって、
人の痛みまで小さく扱ってはならない。

これは、現場に立つ者の大切な倫理だと思う。

一方で、本部は東京都全体を見なければならない。

同時に複数の事件が起きれば、
限られた人員をどこへ配置するのか。
被害が拡大する可能性はあるのか。
社会全体にどれほどの影響が及ぶのか。

組織を動かす側には、
事件に優先順位をつける責任がある。

つまり、所轄と本店は、
同じ警察でありながら、見ている範囲が違う。

所轄は、目の前の一人を見る。
本店は、東京全体を見る。
警察庁は、さらに全国の制度や警察行政を見る。

そこで守ろうとする利益が違えば、
判断が衝突するのは当然でもある。


所轄の正義も、視野狭窄に陥る


『踊る大捜査線』では、
本店の冷たさや組織の硬直性が強く描かれる。

そのため、ぼくらはつい、
所轄を正義、本店を悪として見たくなる。
だが、所轄の判断は、常に正しいのだろうか。

青島たちは目の前の被害者に強く感情移入する。
その姿勢は彼らの魅力である一方、
「いま見えている一件」を最優先し、
別の場所で起きている危険を見落とす可能性もある。

現場に近いからこそ、見えるものがある。
しかし、現場に近いからこそ、
見えなくなるものもある。

「事件に大きいも小さいもない」は、
人の尊厳について語る言葉としては正しい。

だが、捜査資源の配分まで
全事件を同じに扱うことはできない。
人員も時間も予算も有限だ。

必要なのは、事件に優先順位をつけないことではない。
優先順位をつけた結果、後回しにされた人を、
そのまま組織の判断から消さないことだ。

後回しになった事件を必ず再点検する。
被害者への説明を続ける。

特定の事件や地域が恒常的に
取り残されていないか検証する。

現場の善意だけに頼らず、
取りこぼしを減らす制度を作る。

それが、現場の感覚を
組織の仕事へ変える
ということではないだろうか。


正しさは、立場だけでなく事実によっても変わる


ドラマ『相棒』で神戸尊は、
立ち位置によって正義は変わる”
という趣旨の言葉を語った。

『踊る大捜査線』にも、よく似た言葉がある。


「ここには正義はない。あるのはそれぞれの立場だけだ」


たとえば、テロを計画している人物と、
殺人事件の被疑者が同時に目の前にいたとする。

どちらを先に逮捕すべきか。

多数の命を守るなら、
テロリストを優先する。
すでに奪われた命と被害者の正義を考えるなら、
殺人犯を優先する。

ただし、現実の判断は、それほど単純ではない。

テロ計画は、どの段階まで進んでいるのか。
実行の危険は切迫しているのか。
逮捕に必要な証拠は揃っているのか。
いま逮捕すれば、共犯者や組織全体を逃がすことにならないか。

殺人犯には、逃亡や再犯、
証拠隠滅のおそれがあるのか。

同じ「テロリストと殺人犯」という設定でも、
証拠、切迫性、タイミングによって結論は変わる。

正しさは、肩書きや立場だけでは決まらない。

事実を集める。
条件を整理する。
守るべき利益を比較衡量する。
選ばなかった側に残る損失も引き受ける。

法的な思考とは、
結論の前提を、何度でも確認することだ。


「捜査に感情は不要」なのか


映画で沖田仁美は、「捜査に感情は不要!」と言う。

組織的な捜査に、
個人的な怒りや思い入れを持ち込むな。
その主張には合理性がある。

しかし、本当に感情は不要なのだろうか。

感情は、判断を誤らせることがある。
怒りに支配されれば、証拠よりも自分の確信を優先する。
過去の失敗や恐怖に支配されれば、
必要以上に保身へ傾く。

だが、感情は同時に、大切な情報でもある。

被害者の痛み。
現場が抱いた違和感。
誰かが取り残されているという怒り。

それらを完全に排除すれば、
事件は数字になり、
人は処理すべき案件になる。

必要なのは、感情を捨てることではない。

感情を忘れるな。
だが、感情に支配されるな。

現場の痛みを記憶に残しながら、
その痛みだけで結論を出さない。

証拠を確認し、
別の立場を考え、損失を比較し、
判断の責任を負う。

それが、
室井慎次に求められた仕事
だったのではないだろうか。


和久さんの言葉は、答えではなく宿題だった


踊る大捜査線

ここで、もう一度考えたい。

和久平八郎自身は、
長く所轄で働いた刑事だった。

上層部へ進み、
制度を作る側に立った人物ではない。

だから「正しいことをしたければ偉くなれ」は、
上へ行った経験から導かれた
完成された理論ではなかったはずだ。

現場で正しいと思うことが通らない。
権限の壁に阻まれる。
組織へ不満を言うだけでは、同じことが繰り返される。

その悔しさを、和久は室井へ渡した。

室井は、その言葉を文言どおりに受け取り、
ただ出世を目指したわけではない。

「正しい」とは何か。
「偉い」とは何か。

権限を持つとは、何を背負うことなのか。
現場の感情を、どうすれば制度へ変えられるのか。

彼は、和久の言葉を自分なりに咀嚼し、
解釈し、行動してきた。

だから、室井の人生は、
和久の言葉を忠実に実行した物語ではない。

和久から渡された問いに、
生涯をかけて答えようとした物語だった。

「正しいことをしたければ偉くなれ」は、
和久平八郎の答えではなかった。
それは、室井慎次に渡された宿題だった。

そして、その宿題は、いまもぼくらに残されている。

何を正しいと考えるのか。
自分の立場だけを正義だと思っていないか。
感情を忘れていないか。
その一方で、感情に支配されていないか。

いわゆる“格言”的な言葉は、
盲目的に正しいと思いがちである。

だが、「これは本当に正しいのか?」
「この前提は、どこから来ているのか?」
「他の解釈の余地はないのか?」

そう問い直し、
感情や思い込みに流されず、
論理によって再検証することが重要だ。

そして、自分なりの答えを考える。

それこそが、この言葉を受け取るということなのだと思う。




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『踊る大捜査線』の原点は、やはりTVシリーズだ。

青島俊作が現場で走り、室井慎次が本店で葛藤し、和久さんが静かに言葉を残す。

「正しいことをしたければ偉くなれ」

この言葉の重みは、TVシリーズを見返すほどに深くなる。

2026年9月18日(金)公開の新作映画『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』を楽しむ前に、まず見返しておきたい。

配信では追いきれない回もあるからこそ、手元に置いて、青島・室井・和久さんの原点を何度でも確かめたいDVD-BOX




  • この記事を書いた人
藤次郎Tojiro

Tojiro


うつと約20年。話すよりも書くことが自然で、いつも言葉を綴ってきた。

子どもの頃から作文や日記が好きで、高校では論文で男子唯一の入賞。2004年からブログを書き、法務職として民間と官公庁の双方で文書を作ってきた。

家族の介護・看取りを経て、今は『相棒』『踊る大捜査線』、織田裕二さん主演作品を中心に、制度のひずみや、善意が無自覚に人を傷つける構造を読み解いている。

“空気”に流されず、“当たり前”とされていることを疑い、自分の頭で物事を考える力を養えるブログを目指している。

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