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【ワールドカップ記念】ぼくのサッカー日記 ─ 長良川のカヌーから、ベンゲルの食事メニューまで

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【ワールドカップ記念】ぼくのサッカー日記 ─ 長良川のカヌーから、ベンゲルの食事メニューまで


国立競技場


ワールドカップが呼び起こした、ぼくのサッカーの記憶


FIFAワールドカップ北中米大会が開催中だ。

せっかくなので、
ワールドカップ記念として、
自分の中に残っているサッカーの記憶を書き残しておきたい。


最近のサッカーを、ものすごく追いかけているわけではない。
毎週のように試合を見て、
戦術を語れるほど、今の自分はサッカーに近い場所にはいない。

それでも、ワールドカップという言葉を聞くと、
身体のどこかに残っていた記憶がふっと起き上がる。

長良川競技場の芝生席。
国立競技場のゴール裏。
グランパスを変えたベンゲル。
そして、何度も読み返したサッカーの本。

ぼくのサッカー観は、
そういうものが、
少しずつ積み重なってできている。

だからこれは、戦術分析ではない。

ぼくが、どのようにサッカーを見てきたのか。
そして、何を受け取ってきたのか。
あとから自分で読み返すための、
サッカー日記である。


長良川競技場で見たカヌー


ぼくのサッカー観戦の原点は、
1993年、日本で開催された、U-17世界選手権だ。

日本対ナイジェリア。

バックスタンドの芝生席から見たその試合で、
強烈に記憶に残っている選手がいる。

ナイジェリアのカヌーである。

名前だけを書くと、
長良川でカヌー競技を見たように読めてしまうが、
もちろんそうではない。

岐阜の長良川競技場で、
ナイジェリアのヌワンコ・カヌーを見たのだ。

パンフレットには身長が書かれていたはずだ。
けれど、実際に近くで見ると、その数字以上に大きく感じた。

ただ背が高いだけではない。
身体がやわらかく、足が長い。
普通の選手なら届かないようなところまで、
足がぬるっと伸びる。
相手の足元にすっと足を入れて、ボールをかっさらっていく。

ガツンと奪うのではない。
ぬるっと奪う。

その感覚が、今でも残っている。

カヌーはその後、ヨーロッパのクラブでも活躍していく。
1996年のアトランタ五輪では、
ナイジェリアが金メダルを獲った。

よく言われていたのが、
21世紀は「アフリカの時代」になるのではないかということ。

実際、育成年代ではアフリカ勢、
とりわけナイジェリアは圧倒的な強さを見せてきた。
U-17では何度も世界を制している。

オリンピックでもナイジェリア、カメルーンが頂点に立った。
けれど、フル代表のワールドカップでは、
まだアフリカ勢は頂点に届いていない。

若い才能が世界を驚かせることと、
代表チームとしてワールドカップを勝ち切ることは違う。
そこに、サッカーの面白さがある。

長良川競技場で見たカヌーは、
たしかに「アフリカの時代」を予感させる選手だった。
でも、その予感はまだ完全には実現していない。
あのとき見た未来が、半分は現実になり、
半分はまだ未来のまま残っている。

それもまた、
サッカーを見続ける理由のひとつなのかもしれない。


国立競技場

グランパスを変えた、”歴史上の偉人”


ベンゲルは、ぼくにとって
単なる名将でも、レジェンドでもない。

少し大げさに聞こえるかもしれないが、
歴史上の偉人に近い。

弱かったグランパスを変え、
アーセナルを変え、
「この人なら日本代表をどう強くするのか」という夢を見させてくれた人。
そして、ぼく自身のサッカー観を形づくった人でもある。

初期のグランパスは、ひたすら弱った。
「Jリーグのお荷物」と呼ばれていた。

そのクラブにベンゲルが来た。

ベンゲルが持ち込んだのは、
規律や戦術だけではなかった。
選手たちに必要だったのは、
プレーするために必要な自信だった。

ぼくは、ベンゲルが選手に口を酸っぱくして語っていた


「necessary confidence」


という言葉を今でも覚えている。

勝った経験が極めて少ない選手ばかりである。

著書『勝者のエスプリ』によると、

トレーニングの大半は、自分たちは優秀な選手だと思えるような訓練をベースにしていた。

つまり、自分たちは、
勝つに値する選手だと信じられることが大事なのだ。

それほど、当時のグランパスの選手はひどかった。
まさに、「牙の抜けた虎」ならぬ、「牙の抜けた鯱」だった。

1993年5月16日のJリーグ開幕戦で、
鹿島に「0-5」という屈辱的な敗戦を喫したのは、
選手ならず、ファンにとっても、トラウマになっていた。

そして、前期第10節(カシマサッカースタジアム)で、
またしても、「0-4」で敗れた。

得点差以上に、その試合内容、
そして何より選手たちの消極的な姿勢に耐えられず、叫んでいた。
「何を怯えているんだ。君たちはそれでも本当にプロなのか!」

                出典:アーセン・ベンゲル『勝者のエスプリ』


その後、伝説のフランス合宿を得て、
グランパスの躍進、天皇杯優勝は周知のとおりだ。

だからこそ、多くの日本のサッカーファンは何度も夢を見た。
ベンゲルが日本代表監督になったら、
どんなチームを作るのだろう、と。

実際、日本サッカー協会も
ベンゲルを代表監督候補として考え、オファーを出したことがある。
グランパスファンとしては、
名古屋に戻ってきてほしいと思ったことも一度や二度ではない。

けれど、アーセナルで
世界的な名将となったベンゲルは、
もう簡単に日本へ呼び戻せる存在ではなくなっていた。
報酬は数十億円規模とも言われ、
いくらTOYOTAがあるグランパスでも、
現実には難しかった。

それでも、見てみたかった。

ベンゲルなら、日本代表をどう強くしたのか。
日本人選手の技術、勤勉さ、組織力に、
どんな「必要な自信」を与えたのか。


ベンゲルの著書を読み込んだ


ぼくは、ベンゲルが書いた本を何度も読んだ。

1997年にNHK出版から出た『勝者のエスプリ』は、何回も読み返した。
1999年の『勝者のビジョン』も読んだ。
アーセナル退任後に出た『赤と白 わが人生』も読んだ。

それに加えて、中西哲生さんの『ベンゲルノート』も。

中西さんは、グランパス時代に
ベンゲルと選手のあいだをつなぐ役割も担っていた。
英語が話せたからである。
もちろん、選手としても活躍した。

その中西さんが書いた『ベンゲルノート』には、
当時のベンゲルの練習メニューが図入りで詳しく記されている。
ミーティングで何を話していたのかも含めて、
ベンゲルがどのようにチームを作ろうとしていたのかが伝わってくる。

グランパスが変わったのは、偶然ではない。
ベンゲルが来たから、
魔法のように急に強くなったわけでもない。

練習があり、言葉があり、食事があり、
クラブハウスがあり、
選手の意識を変える日々の積み重ねがあった。

ぼくは、そういうことを本からも知った。

特に『赤と白 わが人生』
明かされている食事管理の細かさには驚かされる。
一部を要約する。

ベンゲルは、食事中の飲酒を避けること、食後のワインはグラス一杯にとどめること、カフェオレやミルクティーを避けることなど、かなり具体的な注意点を示していた。
さらに、試合前、試合直後、試合翌日に、何を食べ、何を飲み、どう身体を回復させるかまで細かく書かれている。

                  出典:アーセン・ベンゲル『赤と白 わが人生』

ここまでくると、
もはや単なる「食事指導」ではない。

ベンゲルは、サッカーを90分の試合だけで考えていなかった。
選手が何を食べ、何を飲み、どう眠り、どう回復し、次の練習へ向かうのか。
その日常すべてを、プロフェッショナルとして整えようとしていた。

だから、ベンゲルは代表監督より
クラブ監督のほうが自分に合っていると言ったのだと思う。

代表チームでは、ここまで選手の日常に入り込めない。
選手はそれぞれのクラブから集まり、短い合宿をして、試合をする。
細かな習慣や判断を育てるには、時間も密度も足りない。

けれど、クラブなら毎日顔を合わせる。
毎日伝えられる。
毎日、少しずつ変えられる。

ベンゲルが変えたのは、試合の90分だけではなかった。

ぼくのサッカー観は、こういうところからも作られていった。

サッカーは、ピッチ上の才能だけで決まるものではない。
練習の質、言葉、食事、回復、クラブの空気。
目に見えにくい日常の積み重ねが、やがて試合の中に現れる。

ベンゲルの本を読むことで、ぼくは知ることができた。


なお、ベンゲル初の著書『勝者のエスプリ』も、
名古屋グランパス時代の思想や指導観を知ることができ、極めて資料価値が高い。
現在は中古本が中心だが、当時のベンゲルを知る一冊として興味深い。


国立で見たグランパスと、日本代表


ぼくにとって、国立競技場もまた、
サッカーの記憶と結びついている場所である。

初めて国立でサッカーを観たのは、
1996年のゼロックス・スーパーカップだった。

対戦カードは、名古屋グランパスエイト対横浜マリノス。
グランパスは天皇杯王者として、この試合に臨んだ。

その試合を、ぼくは国立のゴール裏で観ていた。

強く記憶に残っているのは、
カルロス・アレクシャンドレ・トーレス。通称「トーレス」である。

プレーが、とにかく優雅だった。
(お酒を飲んだわけではない)
でも、あのプレーには酔った。

読み、ポジショニング、立ち姿、ボールの持ち方、
ガツガツいかなくてもボールを奪える。ピッチ上での余裕。
トーレスのプレーには、そういうものがあった。


サッカー

もうひとつ、国立で忘れられない試合がある。

1997年10月26日。
フランスワールドカップ・アジア最終予選、日本対UAE戦である。

ぼくにとって、初めて現地で観たフル代表の試合だった。

日本は先制した。
しかし、追いつかれて1対1の引き分けに終わった。

試合後の国立競技場は、異様な空気だった。
なかなか帰ることができなかった。
競技場の外の殺伐とした雰囲気が、席にいても伝わってきた。

一緒に観に行った友人は、
Jリーグ開幕以前からサッカーを観ていたほどガチだった。
普段は温厚な男だが、その日は試合中にかなりキレていた。
それにも驚いた。

それだけ、日本サッカー全体が追い詰められていたのだと思う。

ワールドカップに出ることが、まだ当たり前ではなかった時代。
日本代表は、世界への扉の前で何度も足踏みしていた。

その重さを、ぼくは国立の空気として覚えている。

長良川でカヌーを見たとき、世界の広さを感じた。
国立でグランパスを見たとき、クラブが変わっていく高揚を感じた。
そして国立で日本代表を見たとき、ワールドカップに届くことの難しさを感じた。

サッカーは、夢もある。熱狂もある。
でも、悔しさや苛立ちや、どうにもならない空気もある。

それらも含めて、ぼくの中にサッカーは残っている。


だから、これはサッカー日記である


こうして振り返ってみると、
ぼくのサッカー観は、
ひとつの試合だけで作られたものではなかったのだと思う。

スタジアムで知り、
本で知り、記憶の中で何度も思い返してきた。

ワールドカップが始まると、昔の記憶がふっと戻ってくる。

あのとき見た選手。
あのとき感じた空気。
あのとき読んだ言葉。

それらは、今も自分の中に残っている。

だから、これは誰かに向けた立派なサッカー論ではない。
未来の自分が読み返すための記録である。





アーセン・ヴェンゲル自伝 赤と白、わが人生(ヨシモトブックス) posted with カエレバ
グランパス、アーセナル、そしてサッカーという競技そのものをどう見ていたのか。
ベンゲル自身の言葉で、その歩みと思想をたどる一冊。
本記事で触れた食事管理やクラブ文化の細部も含め、ベンゲルが「日常からチームを変える監督」だったことがよく分かる。




  • この記事を書いた人
藤次郎Tojiro

Tojiro

子どもの頃、家でジャンプが出禁になっても、『銀牙』や藤子作品だけは読み続けていた。あの頃の“物語の匂い”が、ぼくの根っこをつくっている。 うつとの長い旅を経て、“こころの余白”の大切さを知った。いまはドラマ『相棒』「織田裕二さん」主演作品を中心に、気持ちの揺らぎや、語られない沈黙、痛みのレイヤーを、そっと読み解いている。原点の作品を行き来しながら、人が立ち上がっていく物語を、静かに追いかけています。

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